- TOXIC 3 -

 

やっぱりバックれよう。あたしは、小ぶりな旅行カバンを前に決心した。

だいたい、21世紀に社員旅行なんて、ナンセンスにもほどがあるよね。

他のことは外資ちっくなのになーんでそんなモンが生き残ってるんだか。

しーかーも!行き先、国内だよ?…なんで?

せめて海外ならともかく、なにゆえに出張でしょっちゅう行ってるトコに、いつも会ってる人たちと、温泉行かなきゃ

なんないの?

ううん。それだけなら、別にいい。あたしだってオトナだもん。

一晩ぐらい、酔ったオヤジたちに浴衣姿でお酌するくらい、我慢いたしましょう。

…そう、あたしは別のことに怯えてます。

みんながいる+浴衣+お酒…そこまで舞台が揃ってて、あのオトコが燃えないわけがない!!

いい加減、あたしだって学習します、ええしますとも!

よし、こうなったら仮病だ。

風邪ひいたら、旅行行くわけにはいかないよね、うん。

みんなにうつしても悪いし。うん、これしかない。

あたしは携帯を手にすると、直属の上司の番号を呼び出した。

 

「ええ…ごほっ、夕べから急に熱が…ええ、あ、じゃあ皆さんにもよろしくお伝えください」

よしっ、ばっちり。仮病なんて中学ん時から使いまくりだもん。

えへへ、今日と明日は休みだ!何しよっかな〜。

とりあえず、コンビニに朝ごはんでも買いに行こっと。

鼻歌を歌いながらサイフを持って、マンションのゲートを出た途端。

 

「おはよう、唯ちゃん。…さ、行こ?」

ウチの、マンション前に爽やかな笑顔で立っているのは…な、中村さん!?

「な、なんでここにいるんですかっ!?あたし、か、風邪ひいてて…」

その言葉を聞いた中村さんは、すっと手を伸ばしてあたしの額に手を当てると、「仮病はよくないなあ」と、にっこり

と笑う。

「タクシーで来てるから、急ごう。飛ばせば、集合時間に間に合うよ」

しゅ、集合時間?

「えっ!あ、あたし、社員旅行、行かないんです!手離してくださいよっ!」

その手を振りほどこうとあたしはもがくけれど、すらりとしたそのスタイルからは想像できないくらいの力が、それを

許してくれない。

中村さんは、立ちどまって嫌がるあたしに業を煮やしたのか、えいやっと肩にかつぐと、タクシーに押し込むように

乗せてしまう。

「神宮前まで、マッハでよろしく」

「いえっ、あたし降ります!ちょっと中村さん、あたしサイフしか持ってないし、困ります!」

ドアを開けようとするあたしの手をがっちりと押さえながら、中村さんは運転手さんに、指示を出す。

「あ、どっかで駐車場あるコンビニあったら寄って欲しいみたいです」

そういう話じゃな〜い!!

 

「あたしの住所、いったいドコで手に入れたんですか…?」

コンビニでの逃走に失敗したあたしは、自分をこんな窮地に突き落とした戦犯を探す。

「あー、ウチの会社のパソ、セキュリティ甘すぎだよね。パスワード、社長の誕生日だよ?」

…それって、もしかしなくても犯罪ですよね?

もはや突っ込む元気もないあたしの視界に、ベルコモが現れる。

…はあ。あたしはちらりと横を見て、諦めのため息をひとつ落とす。

中村さんは、あたしの視線に気づくと、女ならうっとりしないのには努力が必要な笑顔で見つめてくる。

ふっ、と微笑んだ、その綺麗な唇からもらされた言葉は。

「今夜、楽しみだね〜」

ぞぞぞぞぞ〜〜〜!ちょっ…!

これから行く温泉に護身グッズとか、売って…ないよね…。

 

「え〜なんで唯、中村さんとおんなじタクで来てるのぉ、あやし〜」

集合場所に二人で下りた私たちを見た同期の子が、不満そうに口をとがらす。

「ちょ、ちょっとそんなでかい声で言わないでよっ!好きで乗ってきたワケじゃ…」

慌てて言い訳しようとするあたしの背中にそっと手を添えた中村さんが、脇から口を挟む。

「渋谷のホームで唯ちゃんが具合悪そうにしてたからさ、タク拾って一緒に来たんだ。もう、大丈夫?」

心配そうにあたしを見るその姿は、同僚をいたわるさわやかな、いいオトコにしか見えない。

…あたし以外の人間には。

「いいなあ、唯。中村さあん、あたしお酒弱いんですう。今夜つぶれたら介抱してくださいね〜」

介抱、ねえ。…いろんな意味で解放されなきゃいいけど。

あ、でも。

そうだ、中村さんは人気モンなんだから、女の子たちが宴会場で、ほっとくわけない。

あたしが絶対みんなから離れなきゃいいんだ。

そうすれば温泉で悪事を働くとしても、その中の子達から選ぶよね。うん。

ようやく安心したあたしは、こうなったらせいぜい社員旅行を楽しもうと決め、久しぶりに会う同期の子たちと

楽しくおしゃべりしながら温泉へと向かったのだった。

 

毎度のことながら、ウチの会社の人は、お酒が入るとマジで壊れる。

んもう、だからヤなのよ、この人たちと飲むの。

ただれた宴会の途中、あたしはさりげなく中村さんの姿を探す。

すると案の定、彼の周りには7〜8人の女の子たちが集まって、なにかゲームをしてるみたいだった。

…ふうん。

去年も見たけど、中村さんの浴衣姿は、とっても雅。

周りのおじさんたちが同じモノ着てるのが、気の毒なくらい。

彼のいるグループから、きゃあきゃあという、歓声があたりに広がる。

何してるんだろう、とそちらへと意識を向けると、どうやら「ウインクゲーム」をしてるみたいだった。

え?このゲーム、知らない?

ええとね、トランプに一枚だけジョーカーを混ぜて、裏返して一人一枚分けるの。

で、エースをもらった人が警察役を宣言して、ジョーカーを引いたオニを見つけるのが仕事。

カードを分けられた段階ではみんな自分のカードしか知らないから、誰がジョーカーかは本人以外分からない。

自分だけ見たら、カードは前に伏せておくしね。

ジョーカーが配られたオニは、警察に気づかれずに周りの人を、ウインクで殺すのが仕事。

(ウインクを見ちゃった人は殺されて、殺されましたよーと宣言して伏せてあるカードを裏返すの)

ウインクしてるところを、警察役に見られてオニだってばれたら、負け。

警察に気づかれる前に、半分殺したらオニの勝ち。

そんなたわいもないゲームの今の状況はと言うと、どうやら中村さんがオニみたい。

みんな、中村さんにウインクされるのがそんっなに嬉しいのお?と聞きたいくらい、騒いでる。

なんとなく面白くない気分でその様子を見てると、なぜかばっちりと中村さんと目が合ってしまった。

…って!

参加してないんだから、あたしはウインクで殺さなくていいってば!

…もう、こんなコトでいちいち動揺しちゃう自分がヤダ…。

 

「唯ちゃん、大変だったんだって?」

気がつくと、企画室の福山さんが前に座っていた。

佐藤氏との婚約破棄を、今日だけでいったい何度慰められただろう…あたしは所在無く、あははと力ない笑い声

でごまかす。

中村さんのような華やかさはないけど、仕事がデキて、人当たりがいい福山さんは、女の子たちに、密かに人気が

ある。

今まで二つほどあたしとも組んで仕事したけど、福山さんの描くランジェリーは、女の子好みのセクシーさで、二つ

ともあたしが絡んだ仕事の中で、トップクラスの売上を誇っている。

もう一回一緒に仕事したいなぁと常々願っていたあたしは、ここぞとばかりに福山さんにアピールすることにした。

「福山さん、今度の春夏企画、福山さんが引いてくださいよー、最近数字出せなくて困ってるんです…」

あたしは困っているのをアピールするために、ちょっと上目遣いで福山さんを見つめる。

でもノルマが厳しいのはもちろんあたしだけじゃないから、皆が彼と仕事するのを願ってて、福山さんのスケジュ

ール帳は、2年先までびっちりだって聞いてる。

でも、ほら、婚約破棄されちゃった可哀想なあたしに残念賞ってことで一つ!なんてしたたかに思えるあたり、

自分でもびっくりなくらい、すっかり立ち直ってるなーうん。

 

「う〜ん…来年の夏物、もう5件抱えちゃってるんだよね…。もうプライベートの時間削るしかない感じ。

 でも…唯ちゃんと一緒に居れるなら、土日描いてもいいんだけどな…」

…へ?え、それってどういう意味?

なんてその言葉の意味を深く考える間もなく、福山さんの首に、いつの間にかそばに来た中村さんが腕をから

ませる。

「福ちゃーん、そういうの、セクハラって言うんだよ?あ、パワハラかな?」

セクハラ大魔王のアンタだけには言われたくないよっ!と思うけど、もちろん顔には出さない。

んもう、さっきまで女の子たちに囲まれてきゃあきゃあ言ってたクセに、なんでわざわざあたしの仕事邪魔しに

来るのよっ!

あたしはいらっとくる気持ちを抑えて、福山さんの手を取る。

「福山さんと組めるんなら、土日出勤します!」

中村さんへのあてつけもこめてきっぱりと言ったあたしに、福山さんが照れたような笑いを浮かべた。

「うん、じゃあ今度電話するね」

彼はそうあたしに言い残すと、絡み付いていた中村さんの腕を外して、他の人の輪へと行ってしまった。

視線を感じて視線を戻すと、珍しく不機嫌そうな中村さんが腕組みをして立っている。

喜怒哀楽の喜ぶ、と楽しい、は激しすぎる人だけれど、マイナスの感情をあらわにする人じゃ、ないのに。

不思議に思ったあたしの疑問に答えるように、いつもより硬い声があたしへと向けられる。

「唯ちゃんが、そんな尻軽だとは知らなかったな」

ぷいと背中を向けて、女の子の輪に戻って行く中村さんを見送りながら、あたしは複雑な思いにかられる。

べ、別に中村さんにどう思われたってかまわないもん…。

そう思うのに、胸の奥がちくりと痛んだ理由が分からなくて、あたしは目の前に残っていたビールを、ぐいと

一息に飲み干してしまった。

 

気がつくと、みんな気のあう人同士、各部屋に集まっているみたいだった。

あたしといつも飲む連中は、これから外に繰り出すみたいで、一緒に行こうよーと誘いをかけてくれたけど、

みんなに勧められるまま飲みすぎたみたいで、どうにも外に行く気力が湧いてこない。

…お風呂に入って、もう寝ようっと。

そう思いながらも一応、中村さんのいる部屋を覗く。

相変わらずたくさんの女の子が周りに居て、両脇の二人は、腕にからまってくっついている。

その光景を見た自分が、安心するどころか…ほんの少し面白くないことにあたしは気づく。

べ、別に、やきもちなんかじゃ、ないもん。

あたしはバスタオルをクローゼットから出すと、大浴場の方に歩いて行った。

なーにが今夜は楽しみだね、だよっ。

そうだよね、モテモテだもんね、楽しそうでよろしゅうございましたーだっ。

 

女湯、と書かれたのれんをくぐって大浴場に入ったけれど、さすがに午前二時にもなると、誰も入ってない。

…まるで、貸切みたい。

立ち上る湯気の間を歩きながら、無理やり連れて来られた旅行だけど、来てよかったかも、なんて思い始

めていた。

福山さんとも組めそうだし、普段なかなか会えない同期の女の子たちとも久しぶりに話せたし。

あたしは、ガラスの向こうにある、露天風呂に気づく。へえ…露天風呂があるんだ。

いつもは、どこかから覗かれそうで入れなかったけど…さすがにこんな時間、覗き魔だって寝てるよね?

あたしは頼りないながらも、浴用タオルで身体の全面を隠すと、露天風呂への石畳を慎重に歩いて行った。

ひょうたんのような形をしている露天風呂は、ひょうたんの窪みの部分が植え込みになっている。

入り口からは陰になっている植え込みの奥にも、人はいないみたい…。

あたしは奥まで足を進めてから、岩でできている湯船に腰を下ろした。

突き当たりは、竹を並べて作った仕切りになっていて、その奥は男湯のようだった。

あたしは手のひらでお湯をすくうと、水面に静かに落とした。

水面の下に、揃えた膝小僧が見える。

膝小僧が可愛いって言われても…ねえ。

あたしは隠すように膝をお湯の中へと潜らせる。

中村さんにあんなことを言われてから、あたしは極力膝を見せない服を着るようになった。

仕事中に視線を感じて、耳のあたりが熱くなることもあったけど、絶対に中村さんのデスクの方は見なかった。

…そんな風にするのが、一番彼を意識してるって証拠だって、分かってるけど…。

 

からり、という乾いた音で、あたしは内風呂から露天風呂に続くドアが開いたことに気が付いた。

誰か入ってきた…うちの会社の人かな…。

手にしていたタオルをもてあそびながら、あたしは考えをめぐらす。

福山さん、土日なら引いてくれるってホントかな…。

中村さんの前だったこともあって、勢いでお願いしますって言っちゃったけど…なんか見返りっていうか…そういう

のを要求したりしないよ…ね?(中村さんじゃあるまいし)

…でも、福山さんと組みたい人は、いっぱいいるのに、あんな頼み方で組むのって、卑怯かな…。

湯船に入ってきた人は、植え込みを超えて、奥の方まで来るようだった。

…広いんだから、わざわざこっちまで来なくても…って!!

見上げた先にいる、信じられない人の顔にあたしは思わず絶句する。

な、な、な、中村さんっっ!!??

 

「ななな、何してるんですかっ!?ここ女湯ですよっ!?」

中村さんは、腰にタオルを巻きつけながら、当然のようにあたしの隣に座る。

タオルをお湯に入れちゃいけないんですよ!って今つっこむのはそこじゃない、そこじゃなくて!

あわあわと言葉を紡げないあたしに、彼はにっこりと微笑む。

「当ったり前じゃん。唯ちゃんが男湯なんかに入ってたら、他の男に見られちゃうじゃん」

だーかーら、そーゆー事じゃなくて!!

「ほ、他の人が来ますよ!早く出てくださいっ。チカンって、叫ばれますよ!?」

慌てて両手で胸元を隠すあたしに、中村さんはふざけてぱちゃぱちゃとお湯をかける。

「あ、唯ちゃんは叫ばないんだ、よかった〜」

あたしだって、同僚じゃなきゃとっくに叫んでます!!

「だ〜いじょうぶ、女湯の入り口に、『清掃中』って看板出してきたから、二人っきりだよ、安心して?」

にっこりと天使のように微笑む中村さんに、思わず安心しそうに・・・なるかーっ!!

「中村さんが出ないんなら、あたしが出ます!」

あたしはすっくと立ち上がって、露天風呂の出口へと向かおうとする。

なのに暢気な口調で「唯ちゃん、ちゃんと暖まらないと風邪ひくよ〜?」なんて言いながら、彼があたしの手首を

掴んで強引にもう一度座らせてしまう。

ちょおっとおっ!

こんなとこ誰かに見られて思いっきり引かれるより、風邪ひいたほうが、なんぼかましだよおっ!

 

「まあまあ、座って?…空、見てみな」

いつもよりほんの少しだけ真面目そうな彼の声色に、あたしはいぶかしげに夜空を見上げる。

…わあ、全然空なんて見てなかったけど…満天の、というのにふさわしい、美しい星空。

「今日、獅子座流星群が一番見える日なんだってね。

 …唯ちゃんと見たいな、と思ってちょっと強引だったけど、連れてきちゃった」

…中村さん…。

あたしはいつ襲われるかとびくびくしてた自分を恥ずかしく思った。

楽しみって…あたしと、夜空を見たかった、ってことなの?

きらきらとまたたく星を見上げるあたしたちの間に、沈黙が落ちるけれど…なぜかその静かさが嫌じゃ、ない。

 

「唯ちゃんはさ、俺にたくさん『初めて』をくれるな…」

そういう中村さんの横顔が、いつものからかう表情と違って…あたしは、胸の奥がきゅっとなった。

百戦錬磨っていうか…どっちかって言うと億戦練磨?ってくらいの中村さんの、『初めて』?

初めて真面目な声色で語り始めた彼の端正な横顔を、あたしがじっと見つめていると。

「俺さあ…物心ついてから女の子に迫られてばっかりでさー…。

 あ、これ自慢話じゃないよ。どっちかっていうと苦労話?みたいな」

ちょっとだけロマンチックな気分に浸っていたあたしは、彼の言葉で一気に現実へと引き戻された。

ええっとー、その『苦労話』、他の男性の前ではしないほうがいいと思います…。

「だってさー、幼稚園の時なんか、女の子たちにかわるがわる馬乗りになられてさあ、無理やりチューされてた

 んだよ?俺、よくトラウマにならなかったなーって思うもん」

そう言って中村さんは、両手で水鉄砲を作ってあたしの方へとお湯を飛ばしてくる。

う〜ん、それは確かに強烈な子供時代だわ…。

そういう体験が今の中村さんを形作ってる訳なんだ。

ふ、ふう〜ん…。

 

「もちろん、今までも居たよ?俺に興味ないって子も、興味ないってフリしてる子も。

 その中でいいなって思う子もいた。…でも、あえてGOとは思わなかったんだよねー。

 他にも女の子はいっぱいいるし、大体じゃあ、その子と真剣にお付き合いする気があったかって言うと…

 まあ、なかったし」

やっぱり彼女作る気ないんじゃないのっ!

思わず一気に怒りが沸点に達したあたしは、出張先のホテルでの彼の言葉を思い出した。

こんの、嘘つき…!

中村さんは、あたしの怒った顔には気がつかずに、あのさ、と言葉を続ける。

「唯ちゃんが新人の時さあ、発注の桁間違えてえっらい騒ぎになったことあったじゃん」

…発注の桁間違えって…あ、あの話ぃ?

きゃーあの話はやめてーっ!!

すっかり忘れていた過去の失敗を思い出したあたしは、つられて当時の胃の痛みまで思い出す。

あの時は夜も眠れず、胃潰瘍になり、顔中ふきでものが…って、なんで今更そんな古い話を?

中村さんは、くすりと笑いながら言った。

「ぐだぐだと長い説教してる課長に、『すみません!全部私のミスです。でもこうやってお話聞いてるより、一枚でも

 はけさせるために、仕事戻っていいですかっ!』って言ったじゃん。超、驚いたよ。

 新人の女の子なら、涙浮かべてすみませ〜ん…後はよろしくお願いします…、がフツウでしょ。

 大体係長も課長もハン押しといて唯ちゃんばっか怒っちゃって…。

 結局半分は売れて、もう半分も翌年の福袋に入れて売り切ったんだっけ。

 倉庫代入れても、利益出たって聞いたけど」

なんでそんな事まで知ってるの、と思いつつも、あたしは当時を思い出して、情けない思いで答える。

 

「そんなかっこいい話じゃ、ないです。

 結局、方々に頭下げてくれたの係長だし、倉庫代、格安にしてもらえたのも課長の人徳っていうか、いつもの飲み

 接待のたまものって感じで…」

だんだんと声が小さくなってしまうあたしの肩を、中村さんの手が優しく抱く。

「あの時から、すっごく気に入ってた。

 …自分から口説きたい、って思ったのも、一緒に流星を見たいなんて思ったのも…。

 他の男と喋ってんの見て、ハラワタ煮えくりかえりそうになったのも…唯ちゃんがはじめてだよ」

そう言った彼の顔がそっと近づいてきたのを感じても、あたしはもうよけなかった。

軽く触れ合う唇と唇に、全部の神経が集中する。

「あ・・・」

目を開けたあたしの頭上を、星が一つ流れた。

隣の中村さんの口が、小さく動く。何をお願いしたのか、聞こうとした唇を、新たなキスでふさがれる。

…中村、さん…。

 

「出よっか」

キスを終え、立ち上がった中村さんがあたしの方へと手を伸ばす。

内心、「このままいろんなコト、ここでされちゃうかも…」とちょっと怯えてたあたしは、ほっとしてその手に自分のを

重ねて立ち上がる。

「ん?何もしないの〜って、ちょっと残念だった?」

いたずらっぽく笑う中村さんに、あたしは叫ぶ。

「そんなわけないでしょっ!!」

はっ、と気が付いて口を押さえる。やば、大きな声出しちゃった…。

そんなあたしを静かにね、と嗜めた彼が、あたしと手をつないだまま露天風呂の出口へと向かいながら、苦笑する。

「こんなトコで襲うほど、非常識じゃないよ〜、俺」

……。

ええっと…会社であたしを襲った人に、そういうコト言われたくないんですけど…。

 

ようやく上がった更衣室で、あたしはいつ他の人が来るかとびくびくしてるのに、中村さんは、悠然と浴衣に着替え、

鏡の前で髪まで整える余裕ぶりだった。

この人とあたしって、違う生きモノなんだわ、きっと。

うん、そうに違いない。ここで見つかったら、変態って言うかむしろ犯罪者なのに。

「じゃね」

片手を上げて部屋に戻る中村さんが二人組みの女の子とすれ違うのを、目で追う。

「中村さ〜ん、どこで流星見るの〜?」

きゃいきゃいと騒ぎながらそう言う女の子に、「ん〜?温泉一緒に入って見る〜?」とふざける中村さん。

…こ、この男だけはー!!やっぱり誰にでもそういうコト言う訳だ、うん、分かったよもう!

んもう、マジにして損しちゃった!!

 

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