- 策略 『尚啓視点』-

 

『資材課には”こびとさん”がいる』なんて御伽噺めいた噂を聞いたのは、修行先の会社から父親が

経営する会社に戻ってすぐのことだ。

なんでも、以前は我が企画課が依頼してから最低「中三日」は見なければいけなかった類の書類が、

”こびとさん”に頼めば翌日か、遅くても翌々日には依頼主の机にちょこんと乗っているというのだ。

しかもこちらから出した書類の不備…添付したサンプルが間違っている…などは控えめな指摘と共

に、正しいものに差し替えて仕上げてある、とまでいうのだから驚きだ。

そして。

小人の靴屋の御伽噺になぞらえての命名かと思いきや、当人の名前が「佐古 瞳…さこひとみ」と

真ん中に”こひと”が入っているからなのだと言う。

なんともメルヘンな話だ。

当然、彼女を指名して仕事を依頼する企画課の連中が多いから、彼女の仕事量は半端なく多い

らしい。

それでもきちんと仕事を仕上げてくる「こびとさん」はどんな社員なんだろう、将来経営者となる自分

の右手として活躍できそうなやり手なのだろうか。

僕が彼女に興味を持ったのは、そんな理由だった。

でも、自分から彼女を指名して仕事をするつもりはなかった。

わざわざそんな事をしなくても、いずれ一緒に仕事をすることもあるだろうし…そう思っていたのだが。

彼女と仕事をする機会は、半年待っても巡ってこなかったのだ。

 

仕事上密接な関わりがあるとはいえ、僕が資材課に行くことはめったにない。

だから噂にはよく聞くこびとさんだが、半年経っても彼女の顔は知らないままだった。

一緒に仕事をした連中は、彼女の仕事のみならず、その性格をも口を揃えて褒め称える。

毒舌家のヤツが揃いも揃って、なんだからいっそ気持ち悪いほどだ。

「小柄だし、ぱっと見はおっとりした子なんだけど、仕事は速くて正確だよ。

 それでいて尖ったところがなくて可愛くてさ。

 でもお近づきになりたくても、一滴も飲めないっていう筋金入りの下戸だから、酒の席には来てくれ

 ないんだよなー。

 個人的に食事に誘ったら、にっこり笑ってお気遣いなくーなんてあっさり断られちゃったし」

企画課のエースが残念そうに言うその姿が意外だった。

自他共に認めるモテ男(まあ僕ほどじゃないけどね)のソイツからの誘いを断る女。

…ふうん。

普段は女性に興味をひかれることなんて、めったにない。でも。

仕事が出来て、簡単にはなびかない女。

ちょっと顔を見に行ってみようか。

…それが、この後半年にも及ぶ片思いの始まりだった。

 

書類を片手に資材課へと入っていくと、室内がざわめくのが分かった。

同じフロアの連中はさすがに僕を見慣れているが、そうじゃない女性社員からの視線は、半年経

ってもまだうっとうしいほどだ。

何かを期待するような目で僕を見上げる女性達の中にこびとさんが混じってなければいいのだが。

いくら有能でも、秋波を送る相手と仕事する気はない。

「何か」

山田係長の席に近づくと、彼は突然現れた僕にいくらか驚いた様子で立ち上がった。

その視線の先を追うように、係長の席の前に立っていた女性社員が僕の方を振り返った瞬間…

…目が合った。

あ、この子が”こびとさん”、だ。

なんの根拠もなく、僕はそう思った。

 

小柄だけれど姿勢のいい立ち姿は、凛としていて美しい。

けれどまとっている雰囲気は柔らかで、親しみやすくて。

とびきりの美人、という訳ではないけれど…。

彼女の両親はきっと、この印象的な目を見て名づけたのだろう、そう思える瞳だった。

彼女が瞬きをする、その一秒一秒が切り取られたように記憶に焼きついていく。

周りにはたくさんの社員がいて、ざわざわと忙しそうに立ち働いているというのに…。

交わる視線が外されて我に返るまで、僕は不躾なほど彼女を見つめてしまっていた。

否応なく注目される立場の僕は、会社では尚一層行動に気をつけていたというのに…こんなことは

初めてだった。

理性が働かないほど、誰かに惹きつけられてしまったのは。

 

もう一度僕を見て欲しい、そんな願いをあっさりとはねつけるように目礼だけをして、その場を辞して

しまった彼女の後姿を見送ってから、係長に向き合う。

確かめるまでもない。自分の直感は、間違いなくそうだと言っているのだが…。

「今のが、佐古さんですか?」

ええ、そうですが、と頷いた係長の視線に心配そうな光が宿る。

銀行出身の彼は線の細い見かけとは違って、とても有能だと父親が話していたのをふと思い出す。

会議の時などにしか会うこともないからまじまじと見たこともなかったが、こうして改めて見てみると、

なかなか整った顔立ちをしていて、インテリっぽいメガネがやけに似合っている。

「彼女が、何か」

彼女の仕事上の不備でも指摘されるのかと思ったのだろう彼に、いいえ、違いますよ、と安心させて

から、彼を個室へと呼び出した。

ソファに座らせて、正面からその顔を見据えて、用件を切り出す。

企画課に彼女をくれませんか、と。

 

企画課と資材課は同じ部の中に所属しているから、上の判断がなくても直属の上司の承認だけで

社員を動かすことができる。

だから創業者である社長の息子だ、なんて立場を使わなくてもすぐにでも叶うだろうと思ったその願い

を、山田係長はそれは無理です、と即答で断ってきた。

僕は内心むっとしたが、表面上は柔らかな笑顔を浮かべて彼に質問した。

「…どうしてですか。

 彼女はとても優秀だと聞いていますから、手放したくないというお気持ちは分かりますが、先日社長

 が部会でおっしゃっていたように、なるべくいろんな部署へと異動することで社員の仕事の質が上が

 ると考えてのことなのですが」

さりげなく父親の名前をちらつかせるあたり、我ながら卑怯だ。

噂どおりに彼女が有能ならば、企画課に欲しいと思っていたのは事実だ。

でも、こんなに急ぐつもりも、ましてやごり押しするつもりなんてなかった。

誰にも平等で有能な跡継ぎだと思われるために、これまで僕は細心の注意を払ってきたのだから。

なのに今は、この部屋を出たらすぐにでも彼女の席の前に立ってあの澄んだ瞳を見つめ、華奢な

手首をつかんでどこかへ連れて行ってしまいたいと思いつめている。

それでも冷静にならねばと言葉だけはなるべくていねいにそう言ったのだが、彼はそのかたくなな

表情を変えようとはしない。

そして言葉を選ぶように視線を彷徨わせたあと、中畑さんはご存じないかもしれませんが、とその

理由を説明しはじめたのだった。

 

資材課に配属になる前に彼女は経理課にいて、そこでも一際高い能力を見せていたらしい。

もともと仕事が速い上、間違いも少なく、残業もいとわない…およそ上司が夢見るような、部下だ。

直属となった上司は当然彼女を重用し、年次が上の女性社員よりも重要な仕事を任せたのだと言う。

それは、普通なら問題のないことだったのだろう。

その上司の恋人が、同じ経理課にいなければ。

そして、その恋人が嫉妬深くなければ。

こびとさんが陰湿なイジメにあっている、と上司が気がつく頃には彼女の胃には穴が開いていた。

心身共にぼろぼろになった彼女を引き受けたのが、目の前にいる山田係長だった。

彼もまた、体調を崩したせいで大きな銀行から転職してきたという経歴の持ち主で、彼女の気持

ちが痛い程理解できたそうだ。

仕事が出来るがために周りから疎まれる…そんな理不尽な目にはもう二度と合わせないから、と

約束して退職しようとしていた彼女を引き止めたのだそうだ。

 

「地味な仕事のせいか資材課には穏やかな人員が多いですし、彼女も生き生きと働いてくれてます。

 なのに中畑さんに引き抜かれて花形の企画課で一緒に仕事をしたりしたら、大人しい彼女がどんな

 目にあうか。

 今まで、あえて彼女には貴方の担当する仕事を振らなかったんです…一緒に仕事すればきっと、

 手元に置きたくなると分かっていましたから」

…なるほど。

挑むような目つきの彼の視線を、黙ったまま受け止めた。

どうやら彼は、ただの部下として以上に彼女を大切に思っているらしい。

彼女が苦しんでいた時にそばにいて見守ってきたのは自分だ…そう言いたげな視線に妙にいらつく。

先に知り合っていたからってなんだと言うのだ。

彼女が目の前の男とつきあってるなんて噂は聞いたことがない。

コイツに彼女が自分の庇護下に居る、なんて顔をされるいわれはない。

分かりました、と立ち上がった僕の姿を見た彼がほっとしたように表情を緩めたのを見て、僕はきっぱり

と宣戦布告することにした。

「お話はよく、分かりました。

 じゃあ、僕が貴方の代わりに彼女を守ることが出来ればいいんですね?」

さっと彼の頬に朱が走ったあと、表情が歪む。

 

「…彼女は、本当にいい子なんです。

 今時珍しいぐらいすれてなくて、なんにでも一生懸命で…。

 中畑さんがもし、軽い気持ちで彼女に近づこうと思ってらっしゃるんなら…」

心の底から彼女を心配している、という様子で言葉を紡ぐ彼に、僕は自分でも驚く程はっきりと、こう告

げた。

ほんの数分前に彼女の顔を知ったばかりだと言うのに。

まだ、声さえ聞いたことがないと言うのに。

「軽い気持ちではありません。

 僕はパートナーとして彼女を傍に置きたいと真剣に考えてます」

意味を取りあぐねたのか、彼の表情に不信感が浮かぶ。

ドアのところまで進んだ僕は、振り向いて薄く微笑んでみせる。

僕は今まで、欲しいものを諦めたことはないんだ。

もっとも、誰かを欲しいなんて思ったのは生まれて初めての事だが。

「そういう事情ならば、異動のことは諦めます。

 彼女に退職なんかされたら元も子もないですからね。

 でも、彼女のことは諦めませんよ。佐古さんには、いずれ僕のそばに来てもらいます」

彼の返事を待たずに、ドアを閉めて…戦いの火蓋は切って落とされた。

資材課を出る前に彼女の席の横を通ったけれど、彼女は一心不乱にパソコンに向かっていて、

僕の方などちらりとも見てはくれなかった。

彼女以外の全員の資材課の女性社員が、僕を見送っていたというのに。

 

なんといっても彼女の勤め先は、僕の親の会社だ。

彼女の個人情報など、あっという間に手に入れられた。

けれど、そこからが長かった。

悲しい事に、彼女が僕になんの興味もないのは明らかだった。

数少ないチャンス…廊下ですれ違った時など…に、視線を合わせようとしても彼女は気がついてさえ

くれない。

最初に目が会った時に運命を感じてしまったのは僕だけで、彼女にとって僕はただの同僚の一人で

しかないのだ。

そんな相手にどう近づいたらいいのかさえ僕にはよく分からなかった。

だいたい、誘いを断ることなら得意中の得意だが、自分から誰かを口説いたことなど今まで一度も

ない。

僕と違って百戦錬磨の企画課エースが仕事を組むたびに彼女を内線で言葉巧みに誘っているが、

相変わらず成功した様子はない。

そのことにほっとしつつもじゃあどう誘えばいいのかと自問しても答えはない。

それに。

彼女の過去を聞いてしまった僕は、人目をはばからずに彼女に近づくことができない。

気をつけてみれば、確かに彼女と同じ資材課の女性社員たちはこぞって僕との仕事を望み、しきり

と誘いをかけてくる。

彼女たちに僕が彼女を想っている、なんてことがバレたら、せっかく資材課では楽しく働いている彼女

が嫌な思いをすることは目に見えていた。

だから人目のないところで親しくなりたいと思っているのに、彼女ときたら弁当さえ自分の席で食べる

ほどで、他の女子社員の格好のサボり場所になっている休憩室にいるところなど、一度も見たことが

ない。近づく隙さえないのだ。

 

そんなある日、同僚の電話の内容から彼女が残業で遅くなると分かった僕は、彼女を待ち伏せること

にした。

とはいえまさか資材課で待つわけにもいかないから、従業員用出口で携帯を片手に、人待ち顔で壁に

もたれて。

ガラス越しに激しく雨が降り出したのが見えて、僕は内心ほくそ笑んだ。

『遅いんだね、もうすぐ11時だよ。どこに住んでるの?へえ、寮か、あそこは駅から遠いし危ないね。

 車で来てるんだ、良かったら送ってくよ』

うん、不自然じゃない。すごく自然な流れだ。

車の中で、食事にでも誘って…そうだな、以前接待で使ったあの店を予約しておこうか。

個室だから静かだし、ゆっくり話せそうだ…そう思って電話帳を繰っていると、エレベーターが下りて

くるのが分かった。

彼女かな。

僕は乱れた前髪を少し直して、扉が開くのを待つ。

やあ、佐古さんだっけ?随分遅いんだね…セリフまで用意していた僕の前に、いつも通りほんわか

とした雰囲気の彼女と、すかしたメガネの山田係長が現れた。

…なんでコイツまで。

「お疲れ様です、誰か待ってらっしゃるんですか?」

僕の待ち人が誰かなんて百も承知の山田が口の端を少しだけ上げる。

彼女は控えめに一歩後ろで待っていて、その様子がまるで恋人同士のようで忌々しい。

だからと言って何も言わずに引き下がるわけにはいかない。

二時間もこんなところで彼女を待っていたのだから。

「…嫌な雨だね、ああ、もうこんな時間だ。女性を一人で帰せる時間じゃないな。

 僕もちょうど帰るところなんだけれど…車で来てるから、良かったら送るけど」

先にメガネを下ろしてしまえば、後は当初の計画通りにいける。

そう思った俺に。

「いえいえそんな、まさか中畑さんに送っていただくわけには」

めっそうもない、とばかりに恐縮するメガネは心の底で笑っているに違いない。

あれから何かと資材課をうろちょろする僕を知っているくせに、相変わらず彼女との仕事は組ませ

ない腹黒メガネめ!

俺が経営者になったら覚えてろよ!

「それに僕達、同じ寮に帰るのでご心配なく」

同じ寮に!?こんな遅くに、二人きりでか!?

寮が駅から遠くて、女性社員が何度か露出狂にあってるんですよね、と心配そうに眉を寄せた

メガネに、彼女がいつも送っていただいていてすみません、と軽く頭を下げる。

彼女は山田をすっかり信用しているのか、交し合う視線に親しみを感じる。

いつも…じゃあ彼女の残業時にはもれなくメガネも残ってるってことか。

絶望的な情報に、僕はもう、何を言っていいのか分からなくなった。

 

「あ、じゃあお先に失礼します」

勝ち誇った笑顔でそう告げたメガネに殺意を覚えたが…。

ぺこり、と頭を下げた彼女が彼の背中を追っていく姿に、また何も話せなかったと地の底まで気分が

落ち込む。

これまでの人生、何一つ苦労することなくスマートにこなしてきたこの僕が、好きになってしまった相手

にはろくに声さえかけられないなんて、いったい何て喜劇だ!

ガラスの扉が開き、二人の姿は外に出たが視線で追うことをやめられない。

彼女は傘を忘れたのか、メガネがかばんから取り出した折り畳み傘に二人が肩を寄せて入り、駅へと

向かっていく。

僕はその時…。

生まれて初めて嫉妬という気持ちがどんなものなのかを知った。

メガネは毎日堂々と一緒に仕事が出来るのに、僕は声をかけることさえ許されない。

なんて理不尽な。

こんな状況で、どうやって彼女と親しくなればいいんだ。

 

こう着状態が半年続いたところで、僕は勝負に打って出る事にした。

デートはおろか、話したことさえろくにない相手にこんなに恋焦がれるなんて、自分でも愚かだとは

分かっている。

なぜこんなに彼女に惹かれるのかをいくら考えても、意味はない。理屈ではないのだ。

廊下ですれ違うだけで、ふとした時に声を耳にするだけで、胸が高鳴る相手は彼女だけで。

彼女と話したい、近くにいたい、触れたい、許されるなら僕だけのために笑って欲しい。

…ただ、それだけなのだ。

 

とにかく一緒に仕事をすることが先決だ。

僕は大切な仕事の書類をわざと締め切りぎりぎりまで資材課に提出せず…金曜の終業間際を狙って

山田係長へと電話した。

「…中畑さん、随分強引な手をお使いになるんですね」

深くため息をついたあと、彼はそう言ったが、メガネ相手に痛む良心などハナから持っていない。

「僕はこの後、接待に同行しなければいけないので、今夜は彼女を送っていけないんですが…まさか」

言いながら、僕の策略に気がついたらしい山田係長の声が心持ち低くなる。

当たり前だ。この日のために下げたくもない頭を親父に下げたのだから。

「…本気、なんですね?」

諦めたようにそう言った彼に、もちろんだよ、と僕は答えた。

僕には、と彼の感情を抑えた声が続けた。

「僕には妹がいて…佐古さんのことは、妹のように大切に思っています。

 彼女をそばにおくなら、けして辛い思いをさせないようにしてあげてください。

 同僚からも、ご両親からもきちんと守ってあげてください」

周りを気遣ってか、潜められた声に了解です、と答えて受話器を置く。

…さて。

彼女が取り掛かっているだろう書類に目を落とした僕は、この後の計画をもう一度しっかりと心に

描きなおす。

お気に入りの同僚、だの、彼女、なんていう曖昧な立場に立たせるから攻撃されるのだ。

本気で守るなら、伴侶にしてしまえばいい。

…逃がさないよ、絶対。

君は何も知らないだろうけれど、僕の我慢はもう限界だ。

この半年間で分かったこと…君が押しに弱いことも、頼みごとに弱いことも、そして引越しをしたが

っていることも、利用できることはなんだって利用させてもらう。

ずっと好きだったなどと告げたら、自分は同じ気持ちではないと躊躇してしまうかもしれない。

だから、大事なのは勢いだ。

考える隙さえ与えずにあっという間に婚約して、僕のパートナーだと公表して、君がもう逃げられない

状態に一気に追い込む。

でも、その代わり。

絶対に幸せにするから、後悔なんか絶対にさせないから…僕の罠に落ちておいで。

 

Fin.

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