『お花屋さんの恋』

 

もう、すっかり冬だなあ。

閉店の準備のために店先に出た私は、自分の吐く息の白さに冬の訪れを知る。

たっぷりと水の入ったバケツを抱え、店内のストッカーへとしまい、時計代わりにつけてあるテレビへと

目を移すと、もう七時をいくらか過ぎている。本当はもう、レジを閉めなきゃいけないんだけど…。

「すいません、まだ、いいですか」

しゅっと開いた自動ドアの向こうで息を切らせている人に、いらっしゃいませ、大丈夫ですよ、と答えて

濡れた手をエプロンで拭う。ああ良かった、まだ閉めてなくて。

いつも通りかしら、と思いながらも今日はどんなお花にしましょう、と一応訊くと、おまかせでお願いします、

と予想通りの答えが返ってくる。分かりました、と答えてからガラスの向こうのお花達をぐるりと見回す。

さて、今日はどの子をお嫁に出そうかな。

 

半年前から、毎週月曜日にアレンジを買ってくださるこのお客様は、小さな花屋にとって、すごくありがたい

お得意様だ。病院の近くに店はあるから、まあそれなりにお客様はいらっしゃるのだけれど、この不況の中、

定期的に買ってくださるお客様は文字通り神様だ。

私が月曜を待ち焦がれてしまうのは、でも、もちろん店のためだけでは…ないのだけれど。

初めてこの方がいらしたのはどしゃぶりの日で、こんなお天気の日にお花買う人なんていないよねえ、と早め

に店じまいをしようとしていた時だった。

スーツ姿の若い男の人、というのがまず珍しかったし、それより何よりも目が合っただけでどきりとするような

魅力的な方だったので、いつも通りの自分のスタイル…ジーンズにエプロン、という格好がひどく恥ずかしかっ

たのを覚えている。

でも、花屋は傍から見るよりも重労働なのだ。荒れた手だって職業柄、仕方ない。

…んだけど、月曜だけはこっそりと淡い色のマニキュアを塗っているのは私だけの秘密だ。

どうせ結んでしまうのに、日曜の夜に髪を念入りにトリートメントをしていることも。

 

若い女性向けに可愛らしい感じで、そうオーダーされたアレンジを贈られるのはきっと、この人の大切な女性、

なんだろう。入院中の方へのお見舞いだと初めての時におっしゃっていたけれど、家族なら、いくらなんでも

毎週お花を贈ったりはしないだろうから。

さて、と。

確か先週は可愛らしくピンクでまとめたから、今回はちょっと豪華な感じでいこうかしら。店主であるお兄ちゃん

が見たら原価率高すぎだと眉をひそめそうだけれど、今日は幸いな事にもう帰宅済みだし。格安のお給料で働

いている妹の特権、ってことで許してくれるだろう、きっと。

プリンセス、と名付けられた白薔薇を手に取り、贈られた方が喜んでくださいますように、と祈りながら添えるお

花を選んでいく。ちくりと胸に感じた痛みは…落とす葉といっしょにゴミ箱へと捨てなくちゃ、ね。

ぱちん、ぱちん、と葉を切り落としながら、いいなあ、と羨む気持ちをそれでも拭えない。

花を贈るために仕事帰りに駅から走ってまでくれる、こんな素敵なひとに思われている彼女は…どんなひと、

なんだろう。

 

そこまで思って、はっと気づく。…私ったら、なんてことを。

半年も入院してらっしゃる方が、辛くないはずがない。

行きたいところにも行けず、食べたいものも食べられず、痛い治療を我慢しているのだ。それを分かっているから

こそ、彼はせめてもの慰めに、と毎週病室へ新しいアレンジを飾っているのだ。

そんな優しい彼に惹かれてしまうのは仕方ないけれど…そこまで想う相手がいる彼と親しくなりたい、なんて望める

わけもないし、第一私の仕事は彼の想いを彼女に伝えるために精一杯花を活けること。

彼女が早く退院できますように。

元気になって、いつか、野に咲いている花を彼と見れるようになれますように。

そう祈りながら、もう少しで咲きそうな花たちを、一本一本ていねいに土台へと挿していった。

 

セロファンで全体を包み、薄い紫のリボンを結んだアレンジに、小さな蝶のついたピックを指して、完成。

うん、我ながらなかなかうまく出来たのではないでしょうか。

「こんな感じで、いかがでしょうか」

ああ、いいですね、と微笑んでくださった彼の視線がふと、ピックで止まる。

「こういうのも、たくさん種類があるんですね。…いや、今まで一度も同じものだった事がないな、と思って」

思わず聞きほれてしまうような美声で言われた言葉に、跳ね回りたくなるような喜びを感じる。

だって。

「…あの、実はこれ、私が作ってるんです。季節やお花に合わせて…女性のお客様には、喜んでいただける

 ことがあるものですから」

お花を買ってくださる男性のほとんどは、値段以外は何も訊かずに選ぶ方が多い。まして、しっかり見てくだ

さる方なんてほとんど、いない。でも名前さえ知らないこの方は、いつもゆっくりと出来上がったものを見て、

必ず何かお声をかけてくださる。毎週彼女の元へお見舞いに通うことからも分かっていることだけど…この方は、

本当に細やかな優しい方だ。

「あなたが。…それはすごいな」

よく見るためか、身体を折り曲げてアレンジの方へとかがんだ彼の顔が間近にあることに、心臓が止まりそうに

なる。わわ、背が高いから見上げたことしかなかったけど、近くで見ると尚更…。

かあっと頬が熱くなるのをごまかすように、お会計しますね、と背中を向けた。レシートを渡す時に、少しだけ触れ

てしまった指先を思わず引っ込めてしまって、自己嫌悪する。うう、私は中学生かー。

おつりを小銭入れにしまい終えた彼が、何か言おうとして、やめた。

…ええと。

実は以前から何度か、こういうコトがあった。何か私に訊きたいことでも、あるのかな。

「…あの、何か?」

少し首を傾げて彼にそう問いかけると、あ、いや…と口ごもった彼は、自分の口を手で覆うと、あらぬほうへと視線

を上げる。

「今日…は、店長さんは、いらっしゃらないんですか」

ああ、なんだ。お兄ちゃんに用があるのか。

ほっとした私は、すいません、今日はもう帰宅してしまって、と彼に告げる。

「あ、でもよろしければ携帯で…」

ジーンズの後ろに差してあった携帯を手にする私に、あ、いえ、と彼が慌てたように手で制する。

「ええと…あの、ですね」

意を決したように、という感じで口を開こうとした彼に水を差すように、彼の携帯の音が鳴る。そっけない電子音の呼

び出し音に、すいません、と断った彼が通話ボタンを押す。

「−−−」

「…ちょっと今取り込み中。後でかけ直すから」

私の前ではていねいな口調の彼だけれど、親しい人に向ける言葉はそっけなくて。そんな当たり前の事が、寂しい。

言葉の内容までは聞き取れなかったけれど、相手の声は女の人、だった。病室にいる、彼女かもしれない。

いつもより来るのが遅いと、心配していらっしゃるのかも。

捩れるような感情のうねりを隠して笑顔を保つ私の目に、ボタン式の自動ドアを開けるお得意様の姿が映る。

あ、そっか。月曜なのに、まだお花を取りに来てなかったかも。

「良かったー、まだ閉めてなかったか。五時前には来るはずだったのに、すっかり忘れてて。

 すし屋の花がしおれててどうすんだって大将、超不機嫌。もう店始まってっから、俺活けてる時間ないんだわ。

 悪いんだけど梨絵、活けに来てくれよ」

幼なじみでもある寿司職人、圭吾の頼みに、うん、いいよ、と軽く答えたあと、例の彼の方へと視線を戻す。

「あ…すいません、それで、ええと、何でしたっけ?」

確か、彼は何か私に訊きたい事があったはず、そう思って質問を促したのだけれど、いえ、たいした事では、と

彼は言いよどんでしまった。

それじゃあ、と背中を向けた彼に、ありがとうございました、と声をかけると圭吾がにやりと口の端を上げた。

実家のお寿司屋さんを継ぐために修行中の彼は、この辺りではちょっと人気者なだけあって、背の高い姿に

職人姿が良く似合っている。

「…へえ?晩生の梨絵にもようやく春が来たのか?えっらい男前だな」

「何言ってんの、お・客・様。あのアレンジも、恋人への贈り物だよ?」

ふーん?と変な調子で相槌を打った彼に、急いでるんでしょ、いいの、と切り返すといっけね、と彼が慌てて財布

を取り出す。

「お会計は後でいいから、活ける花だけ選んで。で、適当な長さに切っちゃって。私、店閉めるから」

長いつきあいの気安さで、ぽんぽんとそれだけを言うと私はさっさとレジを閉めて店の電気を落としていく。

あーあ、これでまた一週間、彼と会えない。ふう、とついたため息を隠して、私は圭吾と連れ立ってすし屋へと

向かった。疲れてるのにーとはちょっと思ったけれど、ついでにちょっとつまんでいきな、とお駄賃代わりにお寿司

が食べられたから、まあよしとしよう。

 

その次の週…彼は現れなかった。

またぎりぎりに来るかもしれない、そう思って七時を少し回った後もぐずぐずと閉店を引き伸ばしていたのだけれど、

店長である兄のさっさとしろ、の一声でやむなくレジを閉めた。

退院、したの、かな。

がちゃり、と店の鍵をかけた瞬間、足元が崩れるような気がした。

もう、半年も経つのだもの、退院したって何もおかしくない。おかしくない、どころかそれはとてもおめでたい事で。

これでもう、彼は退社後に急いで花屋に走る必要もなくなったわけで、だからもう、彼とは会えない、ということで。

じわり、と浮かびそうになる涙をごまかすために、急に寒くなったねえ、と横を歩く兄へと声をかけた。

すっかり日暮れが早くなった夜の商店街に、私と兄の白い吐息が溶けていく。

「なんだお前、手袋もしてないのかよ。…ほら、ここ、入れとけ」

ダウンジャケットのポケットを開けて、私の手を入れようとする兄に、やめてよう、もう子供じゃないんだから、と

手を引っ込める。小さな頃、10も年上の兄はそれはもう、私の事を可愛がってくれていた。小さかった私ももう、

22になっているというのに、相変わらず過保護で困ってしまう。

 

「…今日、アイツ、来なかったな」

ぽつり、とそう言った兄に、アイツって?と無邪気なフリをして聞き返す。分かってんだろ、とぞんざいな口調で

そう重ねる兄に、えへへ、と笑ってみせる。

私の片思いなんて、お兄ちゃんにはやっぱりバレバレ、だったんだな。うう、恥ずかしい。

私はもこもこのブーツを見下ろしながら、ぱちぱちと瞬きをして気持ちを切り替えた。

「退院、したんじゃないかな。あ、あの、ね。先週、私、アレンジに早く退院できますように、ってお祈りこめといた

 んだ。もしかしてその願いが届いたとか、だったらすごくない?願いが叶う花屋!とか言って話題に…」

無理にはしゃぐ私の頭を、兄がぽんぽんと上から軽く叩く。

優しい、大きな手の平。お兄ちゃんのお嫁さんになりたい、小さな頃は本気でそう、思っていた。

だからお兄ちゃんが連れてくる彼女には、いつもつんけんしていたくらいだ。

 

「…まあ、アレだ。お前には、圭吾くらいがいいんじゃねえの。

 あそこの大将も女将さんも、お前のこと娘みたいに可愛がってんだし。大事にしてくれっぞ、きっと」

やめてよう、と兄の背中を叩こうとして、その手を捕まえられる。

「…どうせお前の事だから気がついてねえんだろうけど…アイツの胸元についてるバッジ、弁護士のだぞ。

 身につけてるモンも、俺や圭吾なんかには一生、手の届かないモンばっか、だ。

 お前は俺の可愛い可愛い、妹だ。苦労させたくないんだよ…分かるな?」

そんな、こと。

一瞬呆気に取られたあと、苦笑が浮かぶ。ホントに、兄バカだなあ。つり合うつり合わない以前に、私の片思い、

なのに。

兄がこんな先走った心配するのには、理由がある。旅先で知り合ったお嬢様と結婚した兄は、二年ももたずに

離婚届を突きつけられた。スキーインストラクターの資格を持つ兄はゲレンデでは誰よりもカッコよかったけれど、

実際生活してみれば肉の一パックさえ財布の中身と相談しなければいけない暮らしに彼女は耐えられなかった

のだ。私はいいの、と彼女は言ったという。でも将来生まれるだろう子供に、親から自分がしてもらったことをして

あげられないのはつらい、と訴えたのだとか。

三歳からバレエとピアノを習い、小学校から私立で育った彼女にとって公立に入れる、というのは考えられない

選択肢なのだと。

育ちってのは変えられないしな、と寂しそうに笑う兄は気を取り直すように、くしゃりと目を細める。

「圭吾んトコに嫁に行きゃあ、お前の好きなウニも食い放題だぞ。俺にも中トロ腹いっぱい食わせろよ」

からかうようにそう言う兄に、変なことばっかり言わないで、と言い捨てて先を歩く。元気づけようとする、その

優しさにありがとう、と心の中でだけ、お礼を言って。

 

普通の人にとってはロマンチックなその日は、私達兄妹にとっては一番、と言って差し支えのない稼ぎ時だ。

もうずっと姿を見せなくなっていた彼も、今頃きっと彼女と特別なイブを過ごしているのだろう。そう思うとすこし、

悲しかったけれど、でも、良かったな、とも思う。

病院ではなくて、どこかきっともっと素敵な場所で彼と彼女が、幸せに微笑んでいる。その想像は、私の胸を

温かくもしてくれる。

…うん。いいなあ。

私も、いつか、そんな風に誰かと過ごせたら、いいな。まあ、相手が圭吾じゃないことだけは、確かだけれど。

大量に仕入れたポインセチアもうまくはけ、ほくほくした顔でレジを閉め始めた兄に、私は声をかける。

「じゃあ、店の前の花も引っ込めるね。あ、それと、クリスマス用の包装紙…」

ふ、と気配を感じて顔を上げると、あの…例の彼、が店の前に佇んでいた。

今日も仕事帰りなのだろうか、スーツ姿の上に上質そうなコートをはおっている。

「閉店間際にすいません。あの、今日は花束をお願いしたいのですが」

はい、と答えていいよね、と確認するために兄の方へと振り返った。けれど、笑顔を作ったつもりなのに、どうし

てもうまく笑えない。

花束を持ってこれから彼女のところに会いに行くのだろう、もしかしてプロポーズの小道具、なのかもしれない。

そんな事を思いながらも、必死に仕事へと気持ちを集中させる。

「あの、今日はどんな感じにしますか?クリスマスっぽくも出来ますし、薔薇を多めにして…」

「梨絵、俺がやる」

後ろから肩にかけられた手に、ぐっと力がこもる。

「お前は、圭吾んとこ行って、集金してきて」

はい、と答えて彼へと背中を向けた。震える手を隠すように、急いでエプロンを外した。今である必要なんか

全然ない、そんな仕事を振ってくれた兄に感謝しながら外へと向かう。

…どうか。どうか神様。

彼の横を通り過ぎるまでは、涙が零れ落ちませんように。

みじめなこの恋が、どうか彼にだけは、気がつかれませんように。

 

集金を終え、とぼとぼと店へと戻る私の目に、花束を持った彼の姿が映った。

わざとゆっくりと圭吾と話してたのに、今終わったところなんだ。随分、時間をかけて作ったんだなあ。そう思って

花束に目を移して、感心した。…さすが、お兄ちゃん。

クリスマスらしい華やかな、でもそれでいてどこか品のあるその花たちに我知らず、微笑む。

お花さんたち、良かったね。きっと綺麗だって言ってもらえるよ。素敵な恋人たちの、思い出に残れるよ。

「…ありがとう、ございました」

そう声をかけると、なぜかこちらへと向かってきた彼を見つめる。ああ、やっぱり素敵なひと、だな。

…でも。でも、今日でもう、本当に終わりにしよう。

店じまいを終えたら、例年通りお兄ちゃんと圭吾と圭吾の妹のあかりちゃんと一緒にささやかな飲み会をすること

になっている。うん、充分楽しいクリスマスだ、私のも。あかりちゃんの気持ちにちっとも気づかないお兄ちゃんを、

今日こそはつっついてやろう。

 

「あの…何か?」

私の前で立ちすくんだまま何も言わない彼に、私は首を傾げた。

冷気と共に彼のコートの裾がまくられ、ちらりと見えた裏地がバーバリーなことに気がつく。あ、本当だ。

あれってすごく高いんだよね。私なんて雑誌でしか見たことないけど、そんな事を考えていた私の前に、すっと

何かが差し出される。

「これ…君に」

……え?

目の前にあるのは、つい数分前に兄が作った、花束。それを、私、に?

いったい何の冗談、なのだろう。

「僕は…君と店長さんの関係を、ずっと聞きたかった。苗字が同じ、ということは兄妹なのか、それとも…夫婦、

 なのか、と」

彼の視線が落ちたのがエプロンで、私はそこについている名札の存在を思い出してようやく彼の言葉の意味

を察する。

「聞きたくて…でも、いつも店長さんがいらっしゃるので、その、なかなか聞けなくて。もしご夫婦だったら、嫌な

 気分になるのでは、と」

ようやくチャンスが訪れた日に圭吾が来て、その親しげな様子にもし兄妹でも自分に望みはないのだろうと

思った、と彼は苦しげな声で告げる。

「それから仕事が忙しくなって…ここへと来れない日が続いて、もう、諦めようと…そうすべきだろう、と。

 君にとって僕はただの客で、こんな風に一方的に思われても困るだろう、それは分かってるのですが」

差し出された花たちが、にじんで見えない。

嘘…私の、片思いじゃ、なかったの?彼も、私の事を?

「でも、どうしても君が忘れられなかった。一本一本の花たちを優しく扱うその手も、屈託のない笑顔も…

 …君に会うための口実なのに、いつも心をこめて一生懸命花を活けてくれる、君が」

そこで言葉を切った彼が、私の目をじっと見つめる。

「君のことが、好きです。僕と…結婚を前提に、つきあってくれませんか」

あまりの驚きに、私はぽかん、と口を開けたまま絶句した。

それでも、震える両手で、恐る恐る花束を受け取った。ずっしりとした重みを腕に感じながら、彼を見上げる。

 

「…あの…店長は、兄、です。

 圭吾は幼なじみで、ちゃんと彼女がいます。すごく年上だから、周りにはまだ隠してるみたい、ですけど…」

私のしどろもどろの言葉に、彼がひとつひとつ頷いてくれる。

「私、あなたが恋人に花を贈ってるんだと、思ってました」

ええと、それから、何を言わなければいけないんだっけ。そう考えている私に、彼は一番初めの花束は、出産

した妹へのプレゼントだったんです、と教えてくれた。

…そうだった、んだ。

「あの、私…その、ええと」

かあっと、顔に熱がかけあがる。つきあったことが全くないワケではないけれど、中学生の時にたった一人、

しかも高校が離れたからというありがちな理由で三ヶ月で別れた、なんていう貧弱な恋愛体験の私のボキャ

ブラリーには、今使える言葉が見当たらない。

「わ、わ、私…」

あなたが好きです、たったそれだけの言葉がどうしても、出てこない私の名前がその空気を切り裂いた。

 

「梨絵」

いつのまに店から出てきたのか、お兄ちゃんが彼の後ろへと仁王立ちしていた。私が持っている花束を

見下ろし、はっきりと分かるくらい不機嫌な顔でじろりと彼を睨みつける。

「妹は、あなたとはつきあいません。あなたならもっとふさわしい相手がいくらでもいるでしょう。

 こんな、初心な子供をからかわないでやってください。店に来るのも、もうご遠慮願えますか」

そう言うと、強引に私の手から花束を奪って彼へとつき返す。

「や、だ、やめて、お兄ちゃん」

兄のひじをつかんで、手を止めようとする私を見下ろした兄が、行くぞ梨絵、と私の手を取って歩き出そう

とする。

「やっ…」

引きずられながら肩越しに彼の方を振り返ると、あの花束がその足元に落ちている。

初めて、なのに。花屋に勤めているけれど、私が花を貰うのは、初めてなのに。

彼が私のために、贈ってくれた花、なのに。

「放してっ、お兄ちゃん!!」

力いっぱい兄の手を振りほどき、彼の方へと駆け寄る。何枚か落ちてしまった花びらと、花束を拾って

自分の胸に抱きこんだ。彼の気持ちと、自分の気持ちと、いっしょに。

 

「私も…私も同じ気持ち、です。あなたが好き、です」

しゃがんでうつむいたまま、かすれた声でそう告白した私の前に彼が膝をつく。コートが汚れちゃう、こんな

時なのにそんな思いが浮かんだ私の手を取って、彼が私を立たせてくれた。

「お兄さん」

手をつないだまま、そう呼びかけた彼に、兄はそんな呼び方されるいわれはない、とすぐにかみつく。

「妹さんと、おつきあいさせてください。…絶対に大切にすると、お約束しますから」

真剣な眼差しでそう言った彼に、兄はお前がそのつもりでも、と語気を荒くする。

「どうせいい家の坊ちゃんだろ。下町育ちのコイツが苦労するのは目に見えてんだよ。

 アンタの両親がどんな人か、会わなくたって分かるぞ。上品そうに笑って、そのくせその笑顔の下で、

 これだから下々の方たちは、って見下してんだよ」

元妻のご両親を思い出しているのか、兄は苦々しい表情だ。大恋愛の末、駆け落ち同然に結婚したのに、

乗り越えられなかった壁を、私にまで経験させたくないのだろう。私を大事に思ってくれているからこそ。

それは分かってる、けど。

「おっしゃる通り僕の両親は、いわゆる金持ち、なのかもしれません。でも、きっと彼女のことを気に入って

 くれると思います。僕の好きな人だとは知りませんが…彼女の作ってくれたアレンジを見て、毎回違う作品

 を作るその向上心が素晴らしいと、そう話していますから」

それにもし、と彼は付け加える。

「もし両親が彼女につらい思いをさせるようなら、僕は縁を切ります。けれど、そんなことにはなりません。

 たった半年しか彼女を知らない僕よりも、お兄さんの方がご存知でしょう。彼女が、どんなに素晴らしい

 ひとなのか」

彼の言葉に、兄がぎゅっと眉をよせた。彼に何かを言い返そうとして、私の方へと向き直る。

「…見てただろう。俺とアイツが、どうなったか。

 いいんだな。覚悟は、できてるんだな」

低い声でそう確認する兄に、こくりと頷く。

どうなるか、なんて分からない。自信、なんてすこしもない。

彼が見ていたのは、店にいる私だけ。二人きりで会ったらがっかりするかもしれない。

そしてもしうまくいって…その先にある結婚、まで話が進んだならきっと、乗り越えなければいけないもの

はある。けれど。

 

「私……お花で例えるなら、きっと安いお花、だよね。美人でもないし、とりえなんて、手先が器用なこと、

 くらいだし。でも、でも、ね」

高価な花瓶に活けられたら、きっと不似合いだろう野の花、だけれど。それでも。

「彼が望んでくれるなら、一生懸命、笑ってたい…咲いていたいと思うよ」

いつか、枯れてしまうとしても。捨てられてしまうとしても。

最後の言葉は、飲み込んだ。言わなくてもきっと、お兄ちゃんなら分かってくれるから。

「……勝手にしろ」

そう言って背を向けたお兄ちゃんは、大またで圭吾の店の方へと歩いていってしまった。

ただでさえ大酒のみの兄は、今夜はきっと圭吾とあかりちゃんに大迷惑をかけるだろう。

 

「……」

「……」

兄のいなくなった夜道で、私と彼の間に沈黙が落ちる。…う、こんな時、何を言えば。

「…夕飯は、まだ、だよね?とりあえず、どこかに行こうか」

はい、と答えた私に、彼が優しく微笑みかけてくれる。

「そうだ、言い忘れてた。…メリークリスマス」

「…メリー、クリスマス」

胸がいっぱいのままそう言い終えた私の唇は、温かな彼のそれで、そっとふさがれた。

腕の中にある彼からの花束を、私はぎゅっと抱きしめながら…。

優しいファーストキスを、そっと受け止めたのだった。

 

終わり

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