- 不思議な贈り物  -

 

あれれ?

ランチから自分のデスクへと戻った私は、ブックスタンドのファイル横に『ある物体』を見つけて、首を傾げた。

おかしいな、さっきまではこれ、絶対にここにはなかったはずなのに。

いぶかしく思いながらブックスタンドから私が抜き取ったのは、持ち手がプラスチックのどこにでもあるうちわ。

風を扇ぐ平らな面には、来週行われる予定の花火大会が宣伝されている。

節電のために設定温度を上げられてしまったエアコンだけではとうてい暑さをしのげなくて、駅前で配っていた

そのうちわは会社でフル活動中だったのだけれど…。

ペンスタンドに差してあるはずのそれが、いつのまにか行方不明になってしまったのだ。

あれー、おかしいなー、ないない、と昼休み前に机の上はもちろんのこと、トイレやコピー機のそばまで探

したはずで、こんなに目に付く場所を見逃したとは思いにくい。

 

もしや誰かがぱちった!?とさっきは一瞬周りを疑いかけたけど、社員のほとんどが同じ最寄駅を使って

いるウチの課で、そのうちわを使ってないのは奥様セレクトの扇子を使っている部長と、そんなカッコ悪い

物使えるか、とばかりに高性能USBファンをパソコンにくっつけてる八木さん(メガネさえ外国製のコダワリ

派イケメン)くらいのものだ。

 

疑ったりしてゴメンナサイ、と心の中で皆様に謝りつつ、どうせただで貰ったものだし、またどこかでもらえる

よね、とすっぱり諦めてお昼ご飯に出かけたのだけれど。

ここに戻ってきてる、ってことはどこかに置き忘れていたのを誰かが戻しておいてくれたの…かな?

当たり前だけど名前なんか書いてないのによく私のだと分かったなあと思いかけたけれど、さっき私が探

していたのに気づいてくれた人がいたのだろう。

ふむ、と思いながらもぱたぱたとそれを扇いで、気がついた。

あれ…これ、私のじゃない。

誰が見ても体育会系出身の容姿に似合わず、ファンシーなモノが大好きな私は、コンビニのペットボトルに

ついているおまけ類が大好物。

でもさすがに社会人になった今では、そうそう使う訳にもいかなくて机の肥やしになるばかりだったのだけれど、

ここなら目立たないから誰の迷惑にもならないよね、とおまけコレクションの一つだったクマのシールを持ち手

の近くにペタリと貼っていたはず、なのだ。

ってことは。

私が探しているのに気がついた誰かが、自分のをプレゼントしてくれた、って事だよね。

えー、それってなんか申し訳ないなあ。

っていうか、誰だろう。

さりげなくうちわを扇ぎ続けながら、次々と自分の席に戻っていく同僚達の顔を順番に眺めていく。

スリープしていたパソコンを起こしながら、もう習慣になってしまっている仕草で、うちわを扇ぎ始める方達。

うん、うん、誰よ、優しく自分のを、それもさりげなくプレゼントしてくれた優しいひとは。

なあんて書類を見るフリをしながら、私が捜しているのに気がつけたであろう席の近い方々を見渡したのだ

けれど。

えー?なんでだろう、皆ちゃんと自分のを持ってる!

誰か二枚持ってたのかなあ、でもだったら私が探してる時にどーぞ、って直接くれてもよくない?

むううーー?と疑問に思った私だったけれど、すぐに外線が入って仕事モードに突入してしまったから、それ

っきりその事は忘却の彼方へと飛び去ったのだった。もちろんうちわはありがたくいただいて、新たなシール

もぺたりと貼り付けて。

 

で。そんな小さな出来事なんかすっかりさっぱり忘れてしまった頃。

出先から戻った私の机の上に、ちょこんとストラップが乗っていた。しかも、私がコンプリートを目指して必死に

集めている、おまけシリーズのレア物が。

え、これってまぼろしのレインボーうさちゃんっ?と手にとって食い入るように見つめてみると、それはやっぱ

り、先日私がコンビニを15店も探し回っても見つけられなかった本物で。

「え、嘘っ!なんでっ!」

仕事場で、しかも勤務中だというのに思わず大きな声を出してしまった私に、皆の視線が一斉に集まる。

す、すいません、変な声出して。

 

「どうしたよ、滝本ちゃん」

隣の席の角田さんが、メールを打っていた手を止めて、私と手にしているストラップを交互に見やる。

外出する時にはさすがにきちんとネクタイをしているけれど、社内では首元を緩めて袖も捲り上げている彼は

面倒見が良い先輩で、どちらかというと人見知りの私が割とすんなり同僚の方達と仲良くなれたのは、彼のお

陰だったりもする。

あ、そういえば。

この間の飲み会で、携帯にくっつけてある同じシリーズのストラップを見せながら、このシリーズでうさぎを見か

けたら教えてくださいねっ、なんてお願いしちゃったから、偶然見つけたどなたかが買っておいてくれたのかも

しれない。

もしかして贈り主から付箋にでもメッセージがついてるかも、と慌ててストラップの置いてあった辺りを見回した

けれど、それらしきものは見当たらない。

「えーっと、あの、これ、誰が置いてくださったか角田さん、ご存知ですか?」

仕方なく、ストラップをぷらん、と目の前に吊るして角田さんに聞いてみると、うん?とすこし考えるそぶりをした

あと間を空けて、いいや、知らないけど、と答えてくれた。

なんですか、今の間って、と思いつつ視線を他の方々へと向けてみる。

「あの、」

と言い掛けた私を、周りの皆様方もやっぱり微妙な間を開けたあと、首を横に振る。

「まさか、なあ?」

角田さんが向かいに座っている同僚によく分からない同意を求めると、相手も、ねえ?と意味不明の相槌を

返す。

ええ?何がまさかなんですか、と訊きたかったけれど、その後すぐに係長に呼ばれてお小言タイムが始まって

しまったから、その後もなんとなく、訊きそびれてしまった。

欲しくて欲しくてたまらなかったストラップではあるけれど、贈り主が誰か分からない状態ではそれを自分の物に

はできない、よねえ。

困ったなあ、なんて思いながらいつも通りにうちわを手にした私の頭に、ふと浮かんだ疑問…。

そういえばこのうちわの贈り主も誰だか分かってない。もしかして、同じひと、だったりする?

 

「それって!オフィス内の誰かが、芽衣に片思いしてるんだよっ!」

時は金曜の夜、場所は無国籍風居酒屋さん。

満面の笑みを浮かべた高校時代からの親友・みゆきは、両手を胸の前でぐーにしながら、ものすっごく嬉しそうな

声でそうはしゃいだ。

え、えええ。

私は手にしたゆずサワーを抱えたまま、彼女の言葉に絶句した。

絶対そうだよ、だって好きでもない子のためにわざわざレア物探したりしないって、と私につめよるみゆきは、

恋バナの予感に目をきらきらと輝かせる。いや、それ、絶対違うから。

って言うか、そのなんでも恋バナに結び付けようとするのやめようよ、学生じゃあるまいし。

半ば呆れながら、私はサワーの入ったジョッキをテーブルに置く。

「何言ってるんだか。中学生じゃあるまいし、そんなワケないじゃん。

 だいたい、うちのオフィスにそんな内気そうなひとなんか、いないし」

ひらひらと目の前で手を振ってそう否定する私に、人は見かけによらないわよー、なんて言うみゆきは、あくまで

自分の説を引っ込める気はないらしい。

だから、ないって。

まあ、みゆきは私の同僚なんてひとりも知らないからそんな風に誤解しても仕方がないんだけどさ。

 

うちの会社はエステサロンが主な顧客の、中堅化粧品メーカー。

そういう会社の社長、というかオーナーさんには女性が多いものだから、戦略上うちの営業は全員男性で、揃

って超イケメンだ。(会社がつぶれたらホストクラブでも開くか、って冗談で言ってるくらいだ)

そんなまるで逆ハー状態の課にいるんだからモテモテになってもいいはずなんだけど(自分で言ってて悲しく

なってくるよ、うう)まあそうならないのがどうしてなのかは、察してください。

とりあえず。

中高とバスケ部で鍛えた私の二の腕とふくらはぎがハンパなく力強いことと…。

同じく事務をしている私以外の女性二人がすっごく綺麗なことだけは付け加えておきます、ええ。

 

ちびちびとシーザーサラダと冷奴をつっつくみゆきと、ラザニアとポテトフライにがっつく私。

うーむ、こうして女子力の差が広がっていくのね、と思いつつみゆきに状況を説明したけれど、どうして芽衣は

そんなに自虐的なの、とかえってお叱りモードに入りそうになったから、さりげなく話題を元へと戻す。

「えっとそれでさ。一応、飲み会に来てた人達には聞いてみたんだよ?

 でもみんな知らないって言うし、誰からもなんにも言ってこないし。

 こっちからはどうする事も出来ないし、まあ、とりあえず使わずに預かっておくしかないよね」

同意しか求めていない私の言葉に、昔から突拍子もない悪戯が大好きなみゆきは、その長いまつげをぱちぱち

と瞬かせて、こう言った。

「なあに言ってんの!

 こんな楽しいネタをスルーしちゃうから、芽衣はいつまでも年齢イコール彼いない歴なのよっ!」

ちょ、ちょっとみゆき!?

なに公衆の面前でひとのしゃれにならないくらい恥ずかしい個人情報をっ……!

自分は彼を切らしたことがない恋愛エリートの彼女は、その愛らしい顔を私の方へと寄せ、周りを窺うように声を

ひそめた。

「ねえ、ひっかけようよ、そのひと」

……はあ?

ええと、おっしゃってる意味が、まあったく分からないんですけど。

 

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うえ、久しぶりに二日酔いだ。

数年ぶりで朝までみゆきと飲んだ翌朝だけれど。

毎朝近くの公園でランニングをすると決めている私は、気合を入れてベッドから身を起こした。

中一から毎日、だからもう15年。

今日はデートだから止めておこうかしら、なんて機会がなかったお陰で、天候が荒れている時以外は皆勤賞だ。

まあ、女の子として自慢できることなのかどうかは、ともかくとして。

ショートヘアにキャップをかぶり、Tシャツと短パンで走る私は、遠目には少年にしか見えないだろう。

最近はスカートみたいなウェアも流行っているけれど、私の立派過ぎる太ももにはちょっと無理。

嫌がる身体を叱咤して起きたけれど、玄関の前でストレッチして、最後の仕上げに足首を回す頃には、すっきりと

目も覚めてくる。

ウォームアップがてら、早足で公園へと向かう道には、犬を連れた散歩のひとたちがのんびりと朝を楽しんでいる。

季節ごとに咲く花が変わるグラウンドに、今咲いているのは、鮮やかなピンクのサルスベリ。

綺麗だなあ、なんて眺めながら走る私には名前も知らないランニング友達もいて、すれ違う時に会釈するだけの、

そんな薄い繋がりが嬉しかったりも、する。

 

もくもくとグラウンドを回りながら頭に浮かんでしまうのは、やっぱりあのストラップで。

直接渡してくれればお礼が言えたのになあ。そう残念にも思うけれど、まあ、そのひとにはそのひとの事情があった

んだろう。

可能性として一番、ありそうなのは…。

たまたま入ったコンビニにストラップがあって、それを買ったはいいけれど、恩着せがましく渡すほどの物でもないよ

な、とそっと机に置いておいた。そんなところだろうか。

改めて私に訊かれたけれど、ここで今更自分だ、なんて認めたらまるで私に恋愛感情があるんじゃ、なんて誤解さ

れるかもしれない、と危惧したのかもしれない。

うん、こんなところかな。

筋が通る自分の想像に、我知らず苦笑が浮かぶ。

私以外の二人…一人は北川景子似、もう一人は佐々木希そっくりだ…ならともかく、私に片思い、なんてねえ。

みゆきの少女マンガめいた思考を思い出して、ないない、と心の中で突っ込む。

 

ちなみに昨夜、みゆきが打ち出した「ひっかけ」プランはこんな案だった。

「京月屋のさー、一日20本限定の水羊羹を食べてみたい、って会社の人の前で言ってみなよ!

 平日なんて絶対無理だから、土日に張れば例の人が買いに来るかもよ?

 ね、私もつきあうからさ、一緒に張り込もうよ!」

楽しそうに、そして無邪気にそう言った彼女に、深くて長い、ため息をついた。

そんなことしたって、誰も来るワケがない。(そしてその時の私のみじめさを想像してみると、ちょっと寒い)

たまたまタダのうちわが一枚余ってたから、くれただけ。

たまたまレアなおまけが手に入ったから、くれただけ。

それだけに決まってるし、だいたい。

もし。もし、だよ。本当に水羊羹に並びに来てくれたとして…そんな、人を試すような真似はしたくないし、する

べきじゃないと思う、うん。体育会系は、何より礼節を重んじるのだ。

そんなバカな事しません、ときっぱり答えた私に、みゆきは不満そうに口を尖らせる。

そんな仕草、私がやったら通報ものだけど、可愛いみゆきなら全然オッケーだ、うん。

 

「誰かなーとは思うけど、そんな事をしてまで知りたくない。それに、片思い説はないから、絶対」

そう返した私に、何か言おうとしたみゆきが、はっと口をつぐむ。

最近はもうすっかり忘れていたけれど、二人の間ではタブーになっている思い出が胸をよぎったのだろう。

「……ごめん」

すっかりしょぼん、とうつむいたみゆきが可哀相で(そしてそんな姿さえ可愛いことにちょっと嫉妬心を覚えた

りもしつつ)無理矢理話題を変えた。

そんなに気に病まなくたって、もう気にしてないよー、なんて改めて言うのもなんだかな、だから、さ。

 

走り始めて15分くらいで、ふいに呼吸が楽になる。そこさえ過ぎてしまえばその後の一時間は面白いくらいに

足が軽い。

もっと飛ばしたくなる気持ちをぐっと抑えて、グラウンドを抜けて小川沿いのコースへと足を向ける。

生い茂る木々の下はひんやりとして、風を切る頬にも自然に笑みが浮かんだ。

ああ気持ちいい、な。やっぱり私には身体を動かすのが性に合ってる。

髪を巻いて、爪を綺麗に彩って…そういうのも、憧れるけど。

私はみゆきにはなれない。

ダイエットして、みゆきにメイクを教えてもらって、なんて高校時代はそんなこともしてみたけれど。

私とみゆきが、違う種類の生き物だと証明してみせただけ、だった。

だって骨格から違うんだもの。

あの華奢な手足や、透き通るような肌、柔らかな髪はどんなにあがいても私のものにはならない。

男バスと女バス部の主将同士として始終一緒にいた私じゃなくて、ろくに話したこともないみゆきに恋して

しまった私の初恋の相手、みたいに。

 

すごくもてるのに彼女を作らなかった彼は、試合を見に来る女の子たちには清々しいくらいにそっけなかった

けれど、女バスのメンバーとだけは仲良くふざけあう仲だった。

中でも私とは気が合ったのか、練習帰りに二人でラーメンを食べに行ったりしたこともあるし、CDや漫画の貸し

借りだって、しょっちゅうしてたのだ。

うん、私達は仲が良かったと思う。

つきあってるの?と他の子たちからしょっちゅう訊かれるくらいには。

 

『絶対彼、芽衣のことが好きだよ』

当時から人の恋バナが大好きだったみゆきにそうそそのかされて、柄にもなくバレンタインデーにチョコを用意

した私は、なんてバカだったんだろう。

放課後の体育館裏。

ちょっと来て、と呼ばれた彼はきっと、バスケ部の事での相談だとでも思っていたのだろう。

私に内緒で…面白がってこっそり様子を見に来ていたみゆきの前で、彼はチョコを前に絶句して。

「…これ、義理、だよな?」

義理だと言ってくれ、と彼が願っていることに気がつけないほど、私は鈍感じゃなかった。

誤魔化さなきゃ。

たとえそのチョコが、誰が見ても手作りの、本命チョコだとしても。

わざわざ人目につかないように呼び出した末の、告白だったとしても。

 

「あったりまえ、じゃん。今更私が告白とか、ないって」

あせったように笑みを貼り付けた私に、彼がようやく緊張した面持ちを解いた。

じゃあね、と震えそうになる声を必死に抑えて立ち去ろうとした私の背中を、彼の声が呼び止めた。

どこか思いつめたような、そんな彼の表情は恋する男のもの、だった。

そしてもちろん、それは私への想いでは、なくて。

「俺、さ…、秋山みゆきが、好きなんだ。

 滝本、仲、いいだろ。彼女、誰かつきあってるヤツとか、いるのかな」

多分この時ショックを受けたのは、私よりみゆきだったと思う。

他校に彼氏がいるからと何人振ってもモテモテの彼女は、それを理由に一部の女子から疎まれていて。

芽衣がいるからへーき、と強がる彼女が、それでもその事に悩んでいたことくらい、知っている。

だって、親友だもの。

彼のことなんてもちろんアウトオブ眼中な彼女が、どんなに私を大切に思ってくれているのかだって、ちゃ

んと分かってる。

ごめんねごめんね、と泣きながら何度も謝る彼女をなぐさめながら、泣きたいのは私だよ、と心の中で苦笑

したのも今ではもう、いい思い出だ。

自分に、男の人に好かれる要素が皆無なことなんて、分かってる。

ましてやイケメン揃いのあのオフィスでそんな思い上がった事、考えるだけでもおこがましい。

けれど。

誰かが少しだけ、私のために何かをしてくれた。それが単に、『同僚』のためだとしても、やっぱり嬉しい

ことに変わりはない。

ノルマを走り終えた私は、なじみのコンビニで例のストラップのついたペットボトルを探して、そこにはもう

おまけが付いていない事を知った。

違う会社の物に、新しいグッズがぶらさがっていたけれど…なぜだか買う気にはならなくて、何も買わず

に店を出た。

出口側の棚に置いてあった花火を見て、そういえばもうすぐ花火大会だなあ、なんて考えながら。

 

自分の気持ちを整理してみれば、結局。

誰がストラップを(そしてもしかしたらうちわも?)くれたのかを知りたかったのは、お礼が言いたいからだ。

けれど本人が知られたくないのなら、追及せずにお礼だけできれば、それでいい。よね?

日曜の夕方にようやくそう思いついた私は、以前花見の時に持参して好評だった料理を作って、会社に

持参することにした。

それは単にぎょうざの皮でチーズを包んで揚げただけの物なんだけど、ビールにぴったりの味なせいか、

やけに売れ行きが良かったのを覚えている。

月曜の朝、いつも作るお弁当を作り終えたあと、オフィスのみんなに行きわたるようにたくさん、でも気軽

に食べられるように手でつまんで一口で食べられるような大きさに包んでみた。

案の定、昼休みにそれを広げると、『おー、これうまかったんだよなあ』とみんなが喜んで食べてくれた。

ビールはないけれど、まあ、おなかもすく時間だしね。

揚げ物はカロリーがちょっと、と可愛らしくゴメンナサイした女子二人は連れ立ってランチへと出かけていった。

きっとまた、私だとすぐお腹が空いちゃう、低カロリーなお店に行くんだろうなあ。

 

「嬉しいけどさ、どうしたの、急に。なんかあった、滝本ちゃん」

ぱくぱくと遠慮なく口に放り込みながらそう訊く角田さんに、いえ別に、とだけ答えてにっこりと笑った。

うちわとストラップをくれた人が、私の意図に気づいてくれるといいなあ、とは思うけど、まあ気がつかなくても、

別にいい。オフィスのみんなが食べてるんだから、私にくれた人だって、と思いかけて、気づく。

…あ。

さっきから席を外してる八木さんだけは、食べてないや。残しておいて、後であげる…べき?

勢いよくなくなっていく皿を尻目に、私はちょっと、悩んだ。

なぜかと言うと。

今年のバレンタインデーに、北川景子似の彼女が美味しそうなトリュフを作って営業のみんなに配っていたの

だけれど。

普段の言動から察するに、彼女が多分一番食べて欲しかっただろう、八木さんだけはそれを口にしなかった

のだ。

『えー、そんなに甘くなくて美味しいんですよー?一個だけでもいいから、食べてみてくださいよぅ』

私が男なら確実に頷くその場面で、クールに彼は一言、言い放ったのだ。

「悪いけど俺、親しくもないヤツの手作りとか、食えないから」

はい、もちろんその場の空気が凍りましたとも!

気配り角田さんがすぐさまおどけて場を和ませてくれたから事なきを得たけど、彼女が断られたことにチャレンジ

出来るほど図太い神経はワタクシ、持ち合わせておりません。

うん、残しとかなくていいよね。

うちわにしろストラップにしろ、八木さんが贈り主ってことだけは、絶対ないし。

 

「最後の一個、いっただきまーす」

明るくそう言いながら角田さんが皿に手を伸ばした瞬間、ぱしりと誰かがその腕をつかんだ。

ん?と思いながらその手の持ち主に視線をやれば、いつの間にかそこにいたのは八木さんで。

「俺、まだ食ってない」

……はあ!?

と思ったのは多分、角田さんと私だけじゃ、ないと思う。

だいたいにおいていつもクールで一匹狼な八木さんは、課の飲み会でさえ出席率が限りなくゼロに近い、付き合い

もノリも悪い人。

みんなが盛り上がってしゃべってる時だって、我関せず、とばかりにパソコンから目を離さないタイプの人、なのだ。

そんな彼の、らしからぬ行動に角田さんが目を丸くしながらも、それでも残ったチーズ餃子を渡すと、彼は優雅な

仕草でそれを口に運び、うまい、と柔らかく微笑んで見せた。

……。

うっわ……。

私、ここに勤め始めて五年経つけど、八木さんの愛想笑い以外の笑顔見たの、はじめてかも。

びっくりしたのは私だけではないらしく、角田さんをはじめとした営業の皆さんも、凍りついた表情を浮かべて彼の

顔をじっと見つめている。

 

ええっと、と、とりあえず、片付けようかな。

ばさばさと包みをまとめ始めた私を見た人たちが、口々にご馳走様、と声をかけて仕事に戻る中、八木さんだけ

は私のそばから離れる様子がない。

「えっと、あの?」

何か?という意味をこめて背の高い彼を見上げると、ちょいちょい、と上に向けた人差し指で自分の方へと近づく

ようにというジェスチャーで呼ばれた。

はいなんでしょう、と一歩近づくと、ゆったりとした仕草で彼は私の方へと身体を近づけてきた。

ち、近いです、距離!

思わず身体を離しかけた私の肘を軽くつかんだ彼は、そのまま私の耳元へと顔を寄せた。

むきだしの腕(筋肉だけは自信アリ)を掴んでいる彼の手の平は、とても、熱い。

「…ご馳走様。また、作って」

ひそめられた、でも甘い声で告げられた意味を理解した途端、思考が停止した。

…え?い、ま、何、を?

ぶわっ、と熱が顔に駆け上がり、うまく呼吸が出来なくなった。

か、か、からかわれた、のかな?

うん、そうだよね、きっと。

それか、朝ご飯を食べ損ねてお腹が空いてたのかも。うん、それだ、きっと。

むしろそれ以外の可能性が思いつかないよ、うん。

 

「…あー、ええと、じゃあまた、何か機会があったら、はい」

動揺してうまく文章を作れない私を見下ろす彼が、すいっと軽くメガネの奥の目を眇めて、餃子をつまんでいた

指をぺろりと舐めた。

う、わ。整った顔のひとがそういうことすると、色っぽいんだなあ。

呆けたように思わず見とれた私から、彼は視線を外してくれない。

「…機会、ねえ」

ポケットから取り出したハンカチで指を拭った彼は、ふと、何かに気づいたように私の机の上にあったうちわを

手にした。

な、なんでしょう。八木さんとうちわ…うっわー、超、似合わない。

 

「これ、滝本さんは行くの?」

…へ?

これ、って、花火大会のことだよ、ねえ。

あー、そういえば北川+佐々木ペアと営業の人たちで行く、みたいなプランが持ち上がってたっけ。

私も一応誘ってはもらったんだけど、用事をでっちあげて行かないつもり。

だって女子は浴衣必須だーなんて幹事の角田さんが言うんだもん。

あの二人と浴衣で並ぶって、なんの罰ゲームだ、それ。

なんてことはおくびにも出さず社交辞令で一応、聞き返すことにした。

「あー、なんか営業のみんなで行くんですよねえ?八木さんは行くんですか?」

まあ、行かないだろうけど。花見をはじめとして、歓送迎会でさえめったに来ない八木さんが自由参加の、しかも

日曜日の花火大会に参加なんてありえないし。

 

「…そうじゃなくて」

苦虫をかみつぶしたような、という表現がピッタリな八木さんが何かを言いかけたとき、目の前の外線が鳴り出し

たから、目礼だけをして受話器を取り、話はあいまいなまま終わってしまう。

電話を受ける時はいつもそうするように、メモ帳に内容を書き付けていると、八木さんはその端に端正な字でさら

さらと何かを書き込んだ。

『続きは退社後にスタバで』…って、なんの続きーー?と動揺した私がその日、ミスを連発してしまったのは言うま

でもなかったりする。

 

…で。

どちらかというと小声でやりとりしていた私達だったけれど、隣の席にいた角田さんはしっかりばっちり聞き耳を

立て、しかもメモまで盗み見ていたらしく。

駅前のスタバで一方的に待ち合わせ時間と場所を告げられた私と彼の花火大会初デートが、営業の皆につけ

られたことを知るのは、随分と後の事になる。

道で強引に渡されたうちわをそっとくれたのが八木さんだと知ったのも、ストラップを探すために車を出してまで

コンビニめぐりをしてくれたことを知ったのも。

そして実は彼は私の近所に住むランナーのひとりで、今までに何度もランニング中の私と遭遇し、挨拶していたの

だってことも。(メガネしてなかったから全然分かんなかったよ!)

 

まあそんなワケで、あれよあれよと言う間に、年齢=彼いない歴、に終止符を打つことになった私です。

で、恋バナ好きな友人にもやっぱり報告するべきだよねえ、とみゆきを例の多国籍風居酒屋に呼び出したのだけ

ど…。

以前、そんなワケないじゃん、と一刀両断されて落ち込んでいた彼女はもちろん「ほーらやっぱり!」とひとしきり

大はしゃぎしたんだけど…。

はっ、と何かに気がついたように口に手を当てたあと、急に笑いだしたみゆきの目には涙さえ浮かんでいて。

「もう、なによ、みゆき」

あまりの大笑いに、周りのお客から注目されて恥ずかしかった私は、必死に彼女をたしなめる。

「だって、だって、」

とこみあげる笑いに邪魔されながら、彼女はこう言った。

「その彼って、八木さんって言うんだよね?

 そのひとと結婚したら、芽衣って…ヤギ・メイになっちゃうじゃないっ…!

 もう、山羊なんだか羊なんだかはっきりしろって感じだよねっ…!」

そう言ったきり、もう我慢できないとばかりにテーブルに突っ伏して笑い転げた彼女に、気が早すぎ、と私は呆れて

いたのだけれど…。

みゆきの心配通り、そう遠くない未来、私の新しい名前はいろんな場所で笑われる羽目になったのだった。

 

おしまい

 

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愛のひとぱちをお待ちしております

2011.9.21

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