- 夏休み -

 

絵に描いたような、夏だなあ。

どこまでも青い空の下、売り出されている空き地で勝手に育ったらしい猫じゃらしがむうっ、とした熱風に揺れて

いる。息苦しささえ感じるような暑さから逃れるためにコンビニに避難した私は、カゴ型のバッグの中の携帯の

ライトが点滅していることに気がつき、慌てて手にしていたジュースの会計を済ませて店を出る。バイト中、マナ

ーモードにしていたのを切り替え忘れちゃってたんだな、と思いつつ携帯を見ると、二度の着信とその後に送ら

れたらしいメール全てに同じ名前が並んでいる。

(あ、初めの着信、二時間も前だ。

 市原くんに悪いコトしちゃったな…でも、夏休みなのにいったい何の用だろう?)

ハテナ、と思いながらもメールを開くと、これに気がついたら電話して、というこれ以上ないくらいシンプルな

内容だ。

(うーん?何の用かサッパリ分からない。夏休みのレポートの事?…いやいや、私が相談するならともかく、

 逆はナイナイ)

メールの送り主である市原くんは同じゼミ生ではあるけれど、意見を求められないようにゼミ室で忍者のごとく

存在感を消している落ちこぼれの私とは違って、教授からも一目置かれているゼミの中心的存在の人だ。

まあ、レポートの提出期限くらいなら答えられるけど、それくらいならメールで済む話だし、そんなに親しくない

私に訊かなくたってもっと仲のいい人たちに訊けばいいような気もする。

(…ま、悩むよりも電話した方が早い、よね?)

このままここでかけるか、歩いて五分の自宅に着いてからにするか一瞬悩んだ後、後者を選ぶ。用件がゼミ

の事なら家にあるノートを見ないと分からないし、他の頼みごとなら…こっちの方が可能性は高いだろう……

きっと話は長くなる。

(ゼミの事じゃないとすると…七海のことしかない、よねえ…)

ようやく思い至った理由に、家へと向かう足が重くなる。

私がさえないのは今に始まったことじゃ、ないんだけれども。片思いの相手が失恋する手伝いをしなくちゃいけない

なんて、どこまで因果な役目を負ってるんだろう、私。

 

もともと違うゼミを希望していた私が今のゼミに入ることになったのは、クラスの中で一番仲のいい七海に誘わ

れたからだ。もちろん研究内容にもそこそこ興味を持てそうだった、というのも少しはあるけれど(でも入ってみ

たら、そこそこ、でついていけるほどヌルイゼミではなかったのだけれど)一時間に一本しかバスが通らないよ

うなド田舎から東京に出てきた人見知りの私にとって、顔見知りが一人もいないゼミに入ることのハードルが高

すぎた、という理由の方が大きい。

才色兼備、という言葉そのものの七海は生粋のお嬢様だ。エスカレーター式で黙ってても大学まで上がれるとこ

ろから外部を受験してうちの大学に入ってきた彼女は、地方出身者が多い国立ということを差し引いてもあまり

ある目立ちっぷりで…まあ、分かりやすく言うと、掃き溜めに鶴、という存在だ。…な、せいか、ちょっとクラスで

周りの女子から見えない壁を作られやすい彼女と、子供の頃からGWは毎年田植えに駆りだされていた私が

どうして仲良くなったのか、というのは長くなるので割愛。とりあえず言えるのは、見た目的にはお嬢様然として

いる彼女は、本当は竹を割ったような豪快な性格だ、っていうこと。

 

そんな彼女と、院に進めと教授から直々に声をかけられている市原くんは、知り合ってすぐに意気投合したらしい。

私とはまた違った意味でなかなか人と打ち解けない七海と、挨拶したらもう友達だろ?的なフレンドリーさが持ち味

の帰国子女市原くんは、傍から見てもすごくすっごくお似合い、なんだけど…。

でも残念ながら、七海にはちゃんと彼氏がいるのだ。事情、と言うほどではないけれど、ちょっと理由があって彼持

ちだということは周りに伏せているから、市原くんが七海を好きになっちゃったのは仕方がないんだけど…。

市原くんはいわゆるイケメン、っていう顔ではないけれど、程よく焼けた親しみやすい笑顔としなやかな筋肉がつい

たスタイルのせいか、女の子からの人気はかなり高いひと、だ。そんな彼が主催する飲み会の女子参加率はすごく

高いのだけれど、七海は下戸だからそういう会は全部欠席だし、私も右にならえ、でお酒に弱いということになって

いる。

けれどそんな私にも毎回声をかけてくれる市原くんの目的が分からない程、私は世間知らずではない。他でもない

『親友の私』が行きたいと言えば、芋づる式に七海も参加するのを期待されてるんだよね、うん、分かってる。でも

ほら、七海はああ見えて嫌な事は嫌、とはっきり断るタイプなので、もし、もしだよ、私が一緒に行ってと頼んでも、

断られるのは目に見えている。だから、それ以前の時点で、バイトだのなんだのと理由をつけて断り続けてるのだ

けれど…それでも諦めない市原くんの情熱はスゴイと思うけれど…。七海を飲み会に誘いたいのなら、私を通さず

に直接言ってくれ!というのが私の本音だったりする。ついでに『彼氏いるの?いないなら俺なんてどう?』って訊

いちゃってくれれば、五分で解決だ。積極的には明かしていないけれど、告ってきた相手にはきちんと彼氏の存在

を話す、っていうのが七海のポリシーなのだから。それでも諦めないというのなら、もう頑張れとしか言い様がない。

私に関わりのないところで、ぜひ悔いの残らないようにアタック(古!)して欲しい。

 

「…うー、残酷だよなあ…」

市原くんが私に橋渡しの役目を任せたいのは私の気持ちを知らないからだ。そんなこと、分かってるけど。

初めてレポートを出された時、書き方がさっぱり分からなくて図書館で途方にくれていた私を、参考資料探しから

手伝ってくれたのも、七海がいない時には一人でお昼をしがちな私を見かけると一緒に食おう、と自分のグループ

に誘ってくれるのも全部全部、私が七海の友達だからだって、分かってるけど。

「分かっちゃいるんけど好きになっちゃったんだもん、うううう…!」

ゼミ室で、私には到底ついていけないムズカシイ話を交わす二人を見るたびに、本当にお似合いだよなあ、七海

ってば、YOUややこしい相手とは別れてもう市原くんとつきあっちゃいなよ!と思ったり、彼がいることを知らずに

想い続けている彼を可哀相に思ったり…。知らないからこそ、失恋してないからこそ、私も彼と話せるのだと思うと

このままの二人で居て欲しいな、なんて身勝手極まりないことを考えちゃったりもして、後で自己嫌悪に陥ったりも

した。

 

そんな追憶のせいで心身ともに干からびながら自宅に到着し、熱気のこもった室内でリモコンの設定を二度下げる。

一人暮らしなのにそんなに食べられないって!という量のメロンと枝豆(もちろん田舎から送られてきた)がぎっしり

詰まっている冷蔵庫にジュースをしまい、代わりに麦茶をコップに注ぐ。家ではやかんで煮出すけれど、水出しでい

れたせいか少し薄い麦茶は、それでも喉を気持ちよく潤してくれる。

「電話、しなきゃ…」

飲み会なのか遊びなのか分からないけれど、電話をすればきっと、飲み会だか遊びに誘われるのだろう。どちらに

しろ断るのだから関係ないのだけれど、冷蔵庫に張ってあるカレンダーを手元に置き、あらかじめ聞いてある七海

の予定も把握しながら携帯を手にする。

あー、うー、緊張する…。っていうか、もうホント、私って痛いよね。自分の友達を好きなひとのことを好きで、それを

積極的に応援するでもなく邪魔するでもなく…あああ、我ながらどうかと思う、ホントに。

今まで何度か、さりげなくさりげなーく、七海には彼氏がいるということを匂わせようとしたんだ。だってだってさ、勝手

にそんなことしたら七海にこってり絞られるのは分かってるけどもさ、でも、市原くんは七海と会うたびに、話すたびに

きっとますます七海を好きになっていくわけでさ。…そんなの可哀相、って思うんだもん。他の男子には氷の女王のよ

うに冷たい七海が市原くんには打ち解けてるのは、確か。でもたまにたまーーに彼氏の事を話してくれる七海はいつも

の彼女とは違ってすごくすっごく『女の子』、で、市原くんの恋に望みがないのは間違いないんだもん。

違う!違うってば!

市原くんが失恋すれば自分にも望みが出てくるんじゃないかなんて思ってないってば、本当に!

私はちゃんと自分で自分を知ってるもの。

必要以上に卑下するつもりなんてない。私は身長も体重も顔もごくごく平均の、普通の大学三年生だ。とりたてて美人で

はないけれど、お母さんともお姉ちゃんとも瓜三つと言われる自分の顔はそこそこ好きだし、それなりに雑誌とかを見て

(図書館でだけど!)自分に似合いそうな服も研究してるし、髪だって少し癖毛な前髪を毎朝頑張って伸ばしてるもん!

勉強だってバイトだって、自分なりに頑張ってるつもりだもん!

でも、でも、ね。

市原くんと七海が一緒にいるところを間近に見てきた身としては、私じゃダメだよなあ、と思い知っちゃってるんだ。違う

世界、っていうか…私みたいな普通の子には分からない次元で議論したり、笑いあったり…夢を語っちゃったりしてる

二人は眩しくて、いたたまれない思いにさいなまれちゃう。んぐぐ、こういうネガティブ発言良くない!うん、もう、やめる!

と、とりあえず電話しなきゃ、とぱかりと携帯を開いたとたんに、それが着信を告げる。

 

「あ、はい、木村です」

「あ、やっと出た。今、大丈夫?」

あっちがスマホなせいなのか、少し聞き取りにくい声はけれど市原くんのもので、ごめんね、今かけようと思ってたんだ、

という言葉が自然にうわずってしまう。

「あのさ、今加藤といるんだけどさ…あ、分かる?加藤あさみ」

挙げられた名前は確か同じゼミだったはずのひとで、ぼんやりとだけれど顔が浮かんだから、うんと答える。確か、市原

くんの友達とつきあってるひと、だ。その加藤さんと一緒にいる、と。うん、それで?

「で、今日ってS河川で花火大会があるだろ?そこに浴衣を着て行きたいらしいんだけど、自分では着れないらしくてさ。

 どうしようって事になって、友達に一斉メールしたら、木村さんが着付け出来るよって返信が来てさ」

あ。なるほど。

ようやく見えた用件に内心、ほっとする。そういえば一年生の時、浴衣を着たがった子に成り行きで着付けた事がある。

昔の事なのに、覚えてるひと、いるもんだなあ。

「で、出来るって程でもないけど、まあ、浴衣ならなんとか」

簡単な結び方しか出来ないけどいい?と一応加藤さんに確認してもらい、OKを貰う。なんでも美容院に行けばいい

やーなんて軽く考えてたら、いきつけの店には着付けられる人が一人しかいなくて今日は予約が一杯だったらしい。

田舎育ちの私にとってはマストな感じの着付けだけれど、そうかー、都会の子は出来ないのね、ふむふむ。

「えっと、じゃあどこに行けばいい?加藤さんのおうち?」

そんなことくらい、お安いご用だ。じゃあ行くね、と了承すると、お礼するからねーという加藤さんの声を背中に、市原くん

が最寄駅を教えてくれる。いわく、彼女のマンションの場所は分かりにくいから、駅まで迎えに来てくれるとの事。了解で

す、と電話を切ったあと、押入れにしまってある紐類と薄手のタオル、和装用の下着(一応ね)を風呂敷に包んで、出発

する。花火大会ってきっと、六時半くらいからだよね?彼女の家の場所を考えるとそんなにゆっくりもしていられない。

私は簡単に化粧直しだけをして、バイトから帰った格好のまま家を飛び出した。

 

「すっごーーい。なんでほんの10分で出来ちゃうのぉ?」

案の定ウエストが細すぎて和装向きではないナイスバディの加藤さんをタオルでぐるぐる巻きにした後、こころもち、きっ

ちりめに着付けてあげた。その後、緩く編んだ髪をアップにして、彼女が持っていたかんざしを挿して完成。へへへ、子

供の頃から町内会の盆踊り会に出てたのが、こんなところで役立つとは。人生、何が幸いするもんだか、分からないな

あ、うん。

「本っ当ーーにありがとうーーー!今度、絶対におごるからね!

 じゃ、そろそろ行こう。アイツ、きっと待ちくたびれてるし!」

可愛らしい巾着を片手に下駄を履いた彼女に、じゃあ私はこれで、とお暇を告げると、と隣にいた市原くんがえっ、と声

を上げた。

「え、ちょ、なんで?木村さんも花火大会、一緒に行こうよ。

 こいつらと俺だけじゃ、はっきり言って俺、お邪魔虫だし」

……え?……花火大会…私、も?

「え、いやいや、あのね、ええっと、私着付けだけしたら帰るつもりで…えーと、えーと」

どうしよう。とっさのことで断る言葉が出てこない。

バイト…は今日は終わった、ってさっき加藤さんに言っちゃったし、体調が悪…くないのは、見れば分かるだろうし。

でもでも。

彼氏+加藤さんと一緒に、市原くん+私で歩いてたらそれってまるでダブルデートみたいで…うん、ナイナイ。

同じ女から見てもかなり可愛い加藤さんの浴衣姿と、汗だくで働いた後のTシャツカーゴの私とか、うん、何の罰ゲーム

って感じ。うー、断る理由理由…あ、そうだ、アレだ。うん、これなら嘘じゃ、ないし。

私は大きく息を吸うと、しっかりと市原くんと目を合わせる。うーん、やっぱりカッコイイなあ、市原くん。浴衣を着付けて

あげたご褒美、ってことで一緒に花火大会に行っちゃってもバチは当たらないかなーなんて思わないでもない、けど、

でも。

「あのーえーとですね。私、花火大会って、ちょっと苦手、で。

 S河川の花火大会、一年生の時行ったんだけど、あまりの人出に気持ち悪くなっちゃって。

 今日もきっと、迷惑かけちゃうから、」

「一年の時?…それって、誰と行ったの?」

なぜか少し声が固くなった気がする市原くんの問いに、へ?と思わず呆けてしまう。いやいや、今話してるのは誰か

とかそういうことじゃなくって、その時気分の悪くなった私のせいでタクシーを呼ぶはめになってしまった事をお伝えした

かったのだけれど…。

「え?サークルのひととだけど…えっと、それでね、その時、」

「サークルのヤツって男?女?」

重ねて問われた意味が分からず驚く私を見た加藤さんが、ちょっと市原ー、と彼の腕を引く。

「木村さん、ひいちゃってるじゃん。ちょっとその本性はまだ、引っ込めときなってばさ。

 とりあえず今はまだ、爽やかで気さくな市原くんでいくんでしょー?」

ちょっと私には意味が分からない加藤さんの言葉に、市原くんの表情が憮然としたものへと変わる。

「うっさい、黙ってて。その方向性じゃ全然進まないから、困ってんだろ。

 あ、えーと、とにかくもし具合悪くなったら俺がちゃんと最後まで面倒見るからさ、とにかく、行こう」

 

……へ?え、だからヤだって言ってるじゃん、という反論なんて受け付ける気がないらしい彼は、私の手を取ると、

さっさと歩き出してしまう。

「え、ちょっと、市原くん?

 私、今日はやめとく…あの、あの、また今度、」

「また今度って、いつ?」

必死に言い募る私の言葉のどこが気にさわったのか、くるり、と振り向いた彼の眉がきゅっと上がっている。

 

「飲みに誘っても、映画やランドに誘っても、いつもいっつも、木村さんの返事はまた今度、じゃん。

 七海に頼んでも、口説きたいんなら直接口説け、ってアイツ、なあんも協力してくれないし。

 だからこーんなに手間のかかる作戦で、がめつい加藤に借りまで作ってようやく誘い出したんだから絶対、俺、

 今日はこの手、離さないから」

……はいいいい?

「な、な、な、何を言ってるのかさっぱり、よく、全然分からな…」

とりあえず手を外して欲しくて引こうとする私の手を逆に引っ張った彼と私の間は、既に10センチも、ない。

「なんで分かんないのさ。

 初めて会った時から、俺はずっと!君が好きで好きで、なんとか近づきたくて、でも君は全然振り向いてくれなくて。

 口説くどころか、親しくもなれなくて、だから七海に近づいたのに君ってば、俺と七海が話してるとさっさとどこかに

 消えちゃうし。そんなに俺、ダメ?君にとって、友達にさえなれないくらい、嫌いな相手?」

「ち、ち、違う…よ、そんな、だって…」

もう驚きすぎて何も言えない私は、そこだけは否定したくてふるふると顔を横に振る。

 

先行くねー、と肩をすくめて歩きだしてしまう加藤さんの背中に、待ってーーーと心の中で叫ぶ。やだやだやだ、訳

分かんない、今二人きりにしないでー、とほとんど涙目の私を、彼がまっすぐに見下ろす。

「つきあってる男は、いないんだよね?

 七海のヤツ、君に好きな男はいるって言うくせに、絶対に相手は教えてくれないんだ。見た目お嬢のくせに、アイツ、

 かーなーり、イイ性格してるよな?

 でも俺さ、諦めないから。君が好きな男が誰でも、いつか絶対…」

かあああっ、と顔に熱が駆け上がるのが自分でも、分かる。

な、な、七海ってば、七海ってば…!

今まで何度も何度も、『市原くんに彼がいることを伝えた方がいいんじゃないかな』、と私は伝えてきた。でも彼女は

柳に風、とばかりに、いいのよ、アイツ私の事なんか好きじゃないって、って取り合ってくれなくて…。

どうして市原くんの切ない気持ちに気付かないの、ちゃんと向き合ってあげないの、って、思ってたのに…。

それに私の市原くんへの気持ちは七海だけには絶対気付かれないようにしなきゃって頑張ってたのに、なのになのに。

は、は、恥ずかしいーーー!

出来ることなら穴を掘って埋まってしまいたい私の両頬を、市原くんの大きな手の平が包む。

「今年はまだ、友達としてでいいから一緒に花火を見に行こう?

 来年は絶対、君の彼としてここに来る。せめて俺のこと、七海の…親友の友達じゃなくて、君の友達にして」

もう、何をどう答えていいのか分からなくなった私は、とりあえずこくりと頷いて、そのまま手を引かれて花火大会

の会場へと連れて行かれてしまった。

 

破裂音と、火薬のこげる匂い、方々から上がる歓声。

一年生の時は、サークルのみんなからはぐれないようにするのに必死で、空なんて、花火の綺麗さなんてちっとも、

楽しめなかった。なのに今日は市原くんの隣で、しかも彼と手をつないで夜空を見上げている。

(う、これ、本当に現実…?っていうか、さっきの話、本当なのかな…。

 実は壮大なドッキリで、からかわれてたり…ううん、市原くんはそんな悪趣味なことするひとじゃない。

 っていうか、ないって信じたい…!)

そんな考えにぐるぐる囚われながら夜空に咲いた華たちを見上げる私の耳元に、市原くんが顔を寄せ、ふいに私の

下の名前を呼ぶ。かすれた、甘い声に呼ばれる名前は自分のものなのに、まるで現実感がない。

耳に軽く触れた感触に驚いて彼を見上げた私の唇に、一瞬、彼のそれが重ねられる。

「い、市原くん……?」

「ごめん、やっぱ、無理」

ぐい、と手を引かれて、駅へと向かう人ごみを掻き分け、まっすぐに駅の方角へと彼は歩き出す。

む、無理、って何が!?っていうか、今のってもしかして私のファーストキスだったりする!?

なんの説明もないまま、ようやく駅の構内に入った彼は、ぐい、とデパートに続くドアを開け、もう閉店準備を始めた

シャッターに私を両腕で囲い、まっすぐに私を見下ろす。

「さっき来年、って言ったけど、やっぱそんなに待てないよ。

 ね、俺とつきあうって言って。絶対俺、君の事、ずっとずっと大事にするよ?

 俺、むっちゃ自信あるんだけどさ、君が好きな男なんかより、ぜえったいに、俺の方が君のこと、大好きだ!」

 

あ、あ、あ、あわわわわ…。

これってこれって、本当に現実、なのかなあ?目が覚めたら、あの蒸し暑い部屋で見てた夢だった、なんてオチ

だったり、しない?

でも、いいや。もし夢でも。うん。夢なら夢で、さめるまでは、私のもの、だし。

閉店の音楽が流れる中、私の答えを待つ市原くんと目を合わせる。

本当に私でいいのかな、とか、彼に好意を持っていそうな女の子の顔がちらついて少し、怯んでしまうけれど…。

…頑張れ、私!

 

「ええと、あの…市原くん、だよ?私の、その…ええと…」

それでもどうしてもどうしても口に出来ない私の言葉の続きを察したらしい彼は、マジ!!??と叫んだあと、ぎゅう

ううっと私を力いっぱい抱きしめた。ちょ、イタイイタイ、さっき食べたたこ焼きが逆流しちゃうっ…!

けれどはっと何かに気がついたらしい彼は、地の底を這うような低い声で、こう言った。

「ちっくしょー…。

 七海のヤロー…アイツ絶対、面白がってたな、ふっざけんなー…!」

そこだけはもう、本当に同意、なので思わず私は笑ってしまう。

ええと、うん、まあ絶対そうなんだけどさ。…とりあえず。

「あの、ね?七海は本当に飲めないんだけどね、私は本当はけっこう、飲める方なの。

 良かったら今から、ビールでも飲みに行きませんか?」

『また今度』

そう断ったお誘いの一つを提案してみた私に、市原くんはようやく機嫌を直してくれる。

「……!

 うん…俺、君に『また今度』、って断られた事、これから一個ずつ叶えてもらうかんね。

 飲みだろー、映画だろー、ランドだろー?」

次々とリストアップしていく彼の言葉に笑いつつ、私達は改札を通ってホームへと向かう。

どこからどう伝わったのか、翌日七海から届いたメールには、ぴかぴかと光るデコメで、おめでとー!という

言葉と、にししと笑うキャラクターがついていて…。

昨日までバイトと家だけの往復だった夏休みは、市原くんとの『また今度デート』に埋められていったのだった。

 

終わり

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